ゆうらりとした一瞬の浮遊感の後に目を覚ます。壁に凭れたまま不覚にも眠ってしまっていたらしい。
 それというのも修行に付き合わなかった、できの悪い弟子ことのお蔭で暇を持て余したせいだ。よくできた弟子こと悟飯は学校だと言う。うむ、仕方のな い理由だ。比べての方は。
 今思い出してもはらわたが煮えくり返る。あいつはベッドに寝転がったまま、いつも通り壁を破壊して部屋に侵入したピッコロを振り返ることもなく、あから さまな嫌がらせの口笛を鳴らしてきやがったのだ。あのメロディには聞き覚えがあった。確かこの間歌っていたはずだ。「アホが見るブタのケツ」とか何とか ───しまった、口笛が聞こえない距離から魔貫光殺砲でも打ち込んでやれば良かった。
 だが。
 (・・・・・・何をすごすごと、馬鹿正直に退散したんだ、オレは)
 いつもならば即座に距離を取って攻撃を仕掛けるか、あるいは軽快な口笛にも負けずに殴りかかっているところだった。悲鳴を上げて慌てて避けるに追撃 を加えて半殺しに追い込んだら、毎度のことながらスッキリできる。
 自分らしくもない。聞き分けよく立ち去る前に視界に入れた、横たわる後姿が幾度となくフラッシュバックするのに顔を歪めた。
 常であればちらりと横目で見遣ってからのはずだろう、追い出しに掛かるのは。
 どうも調子が狂っている。自覚しているがどうしようもできない。「いつも」が維持できない。
 「・・・・・・クソッ」
 苛立ち任せに神殿を破壊する気はなかった。荒野にでも出てストレスを発散するかと立ち上がり、ふと、ようやくその存在に気付く。
 テーブルに置かれた一枚の紙に、ああ、ついにかとどこかで思った。






Ifeel dizzy 24






 亀じいちゃんに相談に行った。徹夜で散々に悩みも愚痴も零して、帰る途中に色んな人に会って、色んな話をした。酷く疲れた心地でベッドに倒れこむように して寝て、修行のお誘いに来たピッコロを夢現に追いやって。
 いつまでもウダウダやっているのもキャラじゃない。目を覚ましてそう思ってからの私の行動は、自分で言うのもなんだけど驚嘆に値するほど早かった。
 机の上にあったメモ帳を無造作に引き千切って、やはりその辺に転がっていたペンで丁寧さの欠片もなくメッセージを殴り書き。部屋着から修行着にちゃっ ちゃと着替えて、リストバンドを装着しながら窓から飛び出したのが3時間ほど前。
 神殿の床に胡坐をかいて座り込みピクリとも動かないピッコロは、そもそも何で寝てたんだろう。そりゃあ修行の誘いを悩みの底で断ったのは私だけど、それ なら他にやることくらいあるだろうに。食欲がない分睡眠欲に回ってるというわけでもあるまいし。そんな疑問を抱きつつスヤスヤ眠るピッコロの傍に置手紙を して回れ右。

 そして私は今、精神と時の部屋の中に一人佇んでいる。
 1年が外の世界の1日に相当するこの部屋。初めて入ったのは確か、気弾が上手く扱えなくて最凶宇宙生物兵器ピッコロをキレさせたときだったっけ。気温が 不安定で、重力は地球の10倍で、空気が薄くて、定員2名、滞在は2日が限界。それが元々の機能で、そこから様々なバージョンアップが成されたのだとデン デが言っていた。
 思えば初入場の際、あの性悪大魔王はわざわざ重力のみならず空気の薄さも外界に合わせてくれていたのだろう。暑かったけれども呼吸の違いに戸惑った覚え はない。
 海の男より大雑把な宇宙人の、ビックリマンシールのホログラムブラックゼウスよりレアな気遣いに(オークションで20万いったこともあるよ)、けども感 謝したいとは水素原子ほども思えなかった。だって、それを差し引いても恐竜2匹に袋叩きですよ。それだけであの悪魔の悪魔っぷりがわかるというものだ。
 感謝はできないんだけど、でも、まあ。

 「こんな所にオレを呼び出して、一体何をする気だ、不肖の弟子」
 「うぉわぁ!?」
 ふと思いに顔を緩ませた瞬間を狙ったようなタイミングで、肩口から緑色の顔面が覗いて、壮絶にビビった。だって、肩口から緑色って、緑色って!
 「・・・未だに気配も読めんとは不肖の弟子。修行の成果はどこへ消えたんだ不肖の弟子」
 語尾に不肖の弟子と付けよう祭みたいに連呼されても困る。子供か。
 いつものように殺意も露に・・・ということもなく、子供がごねているような不機嫌さで睨み付けられて肩透かしを食った。最近この宇宙人の反応は精彩に欠 ける。この場合の精彩って、生き生きと元気にっていうか、本性であるダークサイドが表出してないよってことだけど。
 「黙れ1万年と2千年前から不肖の弟子。オレはミミズののたくった字を起きて早々解読させられるハメになって機嫌が悪い」
 「1万年と2千年前からピッコロさんとご一緒って、どこまで極限の拷問。嫌ですよ」
 「こっちだって嫌だ」
 「嫌なら言うなよ!何で自分の首絞めてんの!?」
 ノリが普段に戻ってきた。ちょっと楽しくなって、そのまま「特殊効果ピッコロの怒気開放」スキルを持つ禁じられたワードを次々放り出そうとして───違 う、そうじゃない。そうじゃないし、こんなことが楽しいとか人間として物凄く不憫だから、楽しくなるのも駄目だし。

 「リテイク!」
 「・・・・・・何?」
 唐突に眼前に突き出された片手に、当たり前だがピッコロが目を剥いた。気持ちはわからんでもない。私でもビックリするよ。
 戸惑い露にこちらを見た宇宙人に翳した手を、素早く平行に移動させた。止まった手は人差し指一本を立ててピシリと扉を示す。
 「今日はこういうポジティブ空気はいらないんで、もっかい入場からやり直して下さい」
 「何故そんな面倒なことにオレが付き合わねばならん!」
 反論はごもっともかつ私なら多分このまま居座るだろうけど、今回ばかりは認めません。だから早く出て行って、普通に入り直してくるがいい。
 視線で決意を表明した私を忌々しそうに見る目。そんな飢えたドーベルマンみたいな目をしても引かないぞ。怖いけど。
 ハウス!と促すと、ピッコロはいかにも渋々といった足取りで扉に向かった。律儀に私の頭に重たい拳を一つ落として。
 ちくしょう、死ねばいい。








 『・・・いいか』
 「よし来い!」
 扉の向こうから気持ち悪いほど控えめなテレパシー通信が入った。ドン引きしてるとも表現できなくはない。気にしないで深呼吸して気を取り直す。

 take1。

 そう大して重くもない軋みを上げて開く扉を見詰める自分の目は、いつになく真剣な色を灯しているに違いない。隙間から見える緑色の肌。背筋が緊張をはら んでピンと伸びた。
 「・・・あー」
 「ピッコロさん・・・思ってたより早かったんですね」
 ひたりと見据える私のいつもと違う雰囲気に、ピッコロは戸惑うように目を逸らして虚空を見上げた。是非もないことだ。こんなにも真剣な空気で、こんなに も緊張を背に負って彼に会ったことはない。
 扉を開けたままそこから離れようとしない師に、顎をしゃくって歩みを促す。そこで佇んでいられても困るのだ、色々と。
 「ええとだな・・・」
 歩み寄りながら未だ視線を泳がせるピッコロ。眉根を寄せて、仕方なしに小声で修正を施す。なんて優しい私。
 「そこはさっきと一緒でいいんですよ。ほら、早く」
 「あ、ああ。あー、こ、こんな所にオレを呼び出して、一体何をする気だ、不肖の弟子」
 不審そうな声に目を伏せる。

 「・・・ピッコロさんに拾われて、もう一年近くになりますか」
 何を言い出すんだ、とでも言いたげな顔をしたピッコロに背を向けて、白い空間をそっと歩き出した。踏みしめる足元は、硬いとも柔らかいとも言えない妙な 感触。心もとない足場を確かめるようにして進む私の後を、恐らくは反射だろう、ピッコロも数歩遅れて追ってきたようだった。
 ゆっくりと移動する。景色はまるで変わらない。周囲には景色などまるで存在しないのだから当たり前だ。
 少し不安になった。自分が本当に前に進んでいるのかどうか。けれど確かめるために、背に向けた唯一色のついた空間を振り返るのは嫌だった。歩いているん だから進んでいるに決まってる。そう自分自身に言い聞かせて、180度回転したがる首は何とか自制した。

 「随分と密度の濃い一年でした。最初は本当に何にもできなくて、勢いのままピッコロさんに弟子入りして、全員揃って変人ランキングトップに団子になるほ ど変な人たちと知り合って、死に掛けながらやたら体力つけて、死にそうな思いをして空が飛べるようになって、ちょっと地獄に片足突っ込みつつも気弾食らっ ても死なないようになって、腰まで地獄に埋まりながらも気弾出せるようになって、挙句の果てには私8割は死んでたけど恐竜まで殺せるようになって───そ れが当たり前になって」
 あれ、ちょっと私死に掛けすぎじゃないかな。
 言葉を連ねるのに比例して腹の底から湧き出てくる黒いものを、体裁を考えて封殺する。わーっと声を上げて殴り掛かりたい衝動。誰にとは言わないけど。緑 化運動に体表面積分だけ協力している誰かさんにとは言わないけど。

 立ち止まって数秒の沈黙。おい、とピッコロに声をかけられて我に返った。ぶんぶんと頭を振って雑念を追い払い、続ける。
 「け、結構楽しい一年でしたよ。半年くらい前かな、帰るのが惜しいなって最初にふっと思ったのは」
 思った途端にそんな自分を否定しました。ちらりと後ろを振り返りながら歩みを再開した私の後ろを、またピッコロは無言で付いて来た。
 「だって、私の世界はあっちで、あっちの世界がとても大事なんです、私。でもね、時間が経つに連れて思いはどんどん大きくなって、帰りたくないなと思っ てる自分を今は否定できません。密度が濃すぎたんですよね、きっと。平凡にそれなりに幸せだったあっちと、刺激的で激流に逆らい続ける楽しいここと、存在 感が同列になっちゃって、困りました」
 反応は返らなかった。思考の裏側で歩数を数えながら、一拍置いてまた口を開く。
 「本当に色々ありました。初めてピッコロさんに会ったときには、自分は一体どこの宇宙人にキャプチャーされたんだろうと思ったし、いきなり空中浮遊し出 すし、落とされてあわや死に掛けるし。悟飯くんとピッコロさんの邂逅は、何かもう物凄かったですよねえ。人間って鳥肌で死ねるのかと思った。修行では何回 死にそうにな・・・ったこと・・・か・・・」
 ぐっと込み上げたものを寸前で飲み下す。震える手を握り締めて、熱くなった目頭は気にしないことにした。
 ・・・続ける。
 「そういえば、あんまりピッコロさんと修行し過ぎて、悟飯くんに、し、嫉妬・・・とかされて、修羅場、に巻き込まれた、こととかも、ありましたっけ。二 人がけ、喧嘩なんぞした日にゃあ、ウサ晴らしにつ、つきあわされた、り。そのせいで私が風邪引いて、お見舞いに、来た日とかもあり、ましたっ、っけ?ふ、 ふふ、ピッコロさんと悟飯くんの騒動に巻き込まれるなんて、しょ、しょっちゅ、しょっちゅうの、こと、で」
 鼻の奥がツンとしてきて、それ以上喋るのは難しくなった。歯を食い縛って嗚咽を耐える。
 
 「・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・無理をするな」
 心なしか優しい声に胸が詰まる。噛み締めた奥歯を、それでも慎重に開放して咽喉を酷使する───努力をした。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・ほ・・・・・・」
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、もういい。無理をするな」
 「・・・・・・・・・・・・・・・ほんとに・・・・・・・・・・・・・・・たのし・・・た、たの・・・たのしかっ・・・ッ!・・・」
 「もういい無理をするな!血の涙を流してまで無理に楽しかった思い出に変換しないでも、よくここまで突っ込みを堪えてそれっぽく演出できたものだと感心 してやるから・・・ッ!」
 もう自分を許してやれ!と必死こいて説得されて、限界を感じた私は素直に涙目で頷いた。ぐすぐすと幼子のように鼻をぐずらせる私に差し出される箱ティッ シュ。どっから出したのかと突っ込む気力ももうない。これまた素直に受け取って、涙と鼻水を無言で拭った。

 「すいません、私には荷が勝ち過ぎたみたいです」
 無理です。楽しかったこともあったような気がするけど、振り返ってみるとどんな拷問を食らっても楽しかったとか決して私の口から言いたくない。頑張って 心を殺してみたけど不可能です。
 梱包材を剥ぎ取って白状したが、ピッコロはそれはそれで不満そうに顔を歪めた。いいじゃん、無理するなって瑣末な優しさみせたの、私の幻想だったかもし れないけど多分師匠だったじゃん。

 「・・・それで、白々しい演技は気が済んだのか」
 「そこそこには」
 返答に大仰な溜息を吐き出す様子が憎らしい。些かムッとして唇を尖らせる。それに気付くことなく、大体な、とピッコロは声を荒げた。
 「何を考えてオレをこんな場所に呼び出したんだ。今日は修行をしないのではなかったのか」
 見慣れた修行着を睨み付けて───要は私を睨み付けて、だ───今朝の対応でも思い出したのかあからさまに殺気を噴出する。どんだけ大人気ないんだ。
 あんな修行の誘われ方したら誰だって断る。私だって断る。ていうか私が筆頭かつ私くらいにしかあんな誘い方しないだろうけど、そんな物騒な特別は謹んで 遠慮したいんだ、謙虚な日本人だから。
 「起きろ、死ぬ時間だ」なんて、それって一体どこのブレードランナー。
 閑話休題。

 「───って、え、気付いてなかったんですか、何がしたいのか」
 「・・・何の話だ」
 なんてことだ、全く意思の疎通ができてなかったとは。一拍遅れて身を震わせた。そりゃ不審そうにしてるはずだよと納得する。仕切りなおしとか、修行にど んだけ気合入れてるんだって話にもなるわな。
 予想外の師匠の鈍感加減には恐れ戦く。口元を覆う手で重たい溜息をカバーしつつ、堪え切れない空しさに、あー、と息を漏らし。

 いや、何がしたかったかって言うとですね。
 「もうすぐ一年ってことで重要な発表しようとしてたんですけど」
 ああ、と頷く師の姿。そこは気付いていたらしい。そして、それなら修行着はいらんだろうがとまたも突っ込まれる。いや、だからさ。
 「やっぱり、弟子としては、決断発表の前に師匠を超えてみたいわけですよ」
 一面視界を染める白い周囲を見渡して場を確かめた。リストバンドをつけ直す。ブーツの紐が解けていないことを確認する。1度、2度と軽く飛んでみると、 白い床に口付けたつま先からゴツンと鈍い音がした。
 目を丸くした彼が私の言葉を取り込むのを待つ。咀嚼して意図を味わい、再度向けられた目には獰猛な光が漂っていて怖い。
 近所の猛犬がこんな目をしていた。地の滴る肉しか口にしなかった、図体がでかくて凶暴で、ケルベロスの生まれ変わりじゃないかと皆で噂していた、あの 犬。
 思わず頑強そうな鋭牙を思い出してぞっとした。首を振って、食い千切られる妄想を追い払う。

 「というわけで」
 私の状態はいつも通り良好。大きく息を吐いて吸って、呼吸を慎重に整えて。

 「お相手願います、1年間未満のお師匠さま?」
 「・・・良い度胸だ」

 マントを脱ぎ捨てた圧倒的な存在感に、こいつはあの猛犬よりもよっぽどタチが悪いのだと思い直した。 








 気弾を避け、受け流し、それさえ駄目ならできる限りの気を腕に込めて無理矢理にでも弾いて飛ばす。間違っても真正面から馬鹿正直に受け止めるような真似 はしない。そんなことしたら、諦めなくてもそこで試合終了ですよ。
 痺れた腕を、躍り掛かってきた影に向かい反射的に振り下ろす。はっきり言わなくても失敗だった。あっさり掴まれて拘束される。
 触れた皮膚に熱を感じて、慌てて腕が折れる勢いで我武者羅に離脱。刹那の後に弾けた力を感知して冷や汗が頬を伝い落ちた。死んだらどうする。目に入りそ うになった雫をバンドで拭って距離を取る。
 「どうした、1年経っても相変わらず逃げるばかりとは情けないな!」
 言ってろ。あと、まだ1年経ってないし。

 身体を捻ってレーザービームを回避する代わりに、時間をかけながら苦心して作り上げた気弾を指先から放った。当然にべもなく無効化されて終わる。今更悔 しくもない。
 どうしても気を身体から分離させることができなかった私がようやっと気弾を出せるようになったのは、恐竜2体とデスマッチを繰り広げたときだ。生命の危 機に瀕してパワーアップするのは、何も戦闘民族に限ったことではなかったらしい。
 しかし何でまた掌からでなく指先からしか出せんのかという疑問はあるのだけれど、多分、情操教育の影響だよね。富樫ナニガシの漫画のせいだから、私のせ いじゃない。
 ちなみに気を溜めるのに時間がかかる上に威力が低いせいで、あんま使い道はないよ。

 離脱のためのバックステップに光弾の追撃が加わる。イヤミか畜生イヤミ魔人死ね。口の中で毒づいて、舌打ちの音が漏れて。
 どちらが緑色の地獄耳に届いたのか、猛攻が勢いを増した。回避が追い付かなくなって横に飛ぶ。
 「甘い」
 「知ってるよ!」
 予測されているのはこちらも予測済みだった。動きを読んで打ち出された拳を寸でで手で押し進路を変えさせ、逆側からの2撃目を避け、その両腕を引っ掴ん で足から力を抜く。
 唐突な脱力に体勢を崩しかけた相手にしたりと笑った。掴んだままの腕をそのままに、素早く宇宙人の長い脚の間を潜る。膝裏を打って完全にバランスを崩壊 させようとし。
 その前に宙へと逃げられた。
 「・・・つッ!」
 駆け抜けた悪寒に身を捩るよりずっと早く衝撃が訪れる。肩を直撃した拳。悲鳴を飲み込み、衝撃に逆らわず後ろに跳んだ。

 追撃はない。悠々と地面に降り立つモーションは隙だらけのようで実のところそうでもなく───全く嫌になる。何がって、一瞬でも転ばせられると期待して しまった浅はかな自分が。
 「握力が足りんな。スピードもない」
 ・・・知ってるよ。
 憮然として言葉を聞いた。修行中にも何度も言われたことだ。そしてその度に私はこう言った。いいか、私は人間だ。
 「力があまりにも弱すぎる。そのせいで接近戦も仕掛けられず、かといって遠距離で勝てるかと言えば気弾もお粗末なものだ。だからこそキサマはそうして小 手先の嫌がらせを駆使するしかできん」
 「・・・・・・」
 それも知ってる。
 「それで───」
 低い声が私のなけなしのプライドを打ち壊そうと心を揺さぶる。
 「それで、。万が一にでもオレに勝てるのだと、何故自惚れた?」
 お前にできるのはペテン師の小癪な所業のみだと。根本を覆せる実力など一切ありはしないのだと。
 言外に込められた意図を性格に汲み取って自嘲した。
 そうだよ、その通りだ。だから言ってるじゃない、「知ってるよ」って。
 「止めて下さいよ。ピッコロさんのくせに精神攻撃とか」

 ぶつけられる事実が一々正論過ぎてうんざりする。別に自惚れたわけじゃない。そりゃあ、ここまで食らい付いて来た自分を知っているから強くなった自覚は 存分にある。けれど、まさか人外に敵うと錯覚するほどの愚か者ではないつもりだ。
 自覚があるからこそ今まで自分から勝負を仕掛けたことなんぞ皆無だったし、戦うとなればルールを設けた。ダメージを必要としないルール。それは例えば身 に付けているものを奪うだとか転んだら負けだとか、まるで遊びのような他愛のない勝敗の判定だ。
 例えばピッコロとの修行のようにルール無用の戦いに入れば、持ち前の小賢しさで有耶無耶な結末に持って行けるよう常に考えた。ある程度のダメージは覚悟 して相手を怒らせて、精度の落ちた攻撃を決定的なダメージを食らわないようにしながら受けて満足させて。
 よくここまで生きてこれたな、と何度思い返したことだろう。それは生まれ持った悪運のおかげだけではない。一応殺さないように気を遣っていた師匠その他 のおかげだけでもない(なんせ奴らはヒートアップすると手加減の頭文字すら忘却する単細胞生物たちだから)。
 全部必死に自分で考えて仕掛けてきたことだから、知ってる。

 「別にね、自惚れてるわけじゃないんですよ。私はただ自分の限界が知りたいだけで」
 髪を掻き乱しながら発した声は、自分でも驚くほど酷く静かな音になった。静寂の空間にはそれでもよく響き渡る。
 「わかっただろう、たった今。キサマではオレには勝てん・・・決してだ」
 「・・・・・・」
 苦い声は何故だろう。諭すより先にボコるのがピッコロの性格のはずなのに、今こうして諦めろと促すのは不審に過ぎた。
 多分、私はその理由なんてとうに察しているのだけれど。

 「・・・まあね。ちょっとした意地張ってみたけど、無理なモンは無理そうなんで四の五の言わずに諦めます。考えてみたら、己が身一つでピッコロさんに勝 てたら勝てたで私落ち込んじゃうし───己が身一つではね」
 含みを持たせた言葉にピッコロが反応した。剣呑な視線がレーザービームのように私を射抜く。
 「武器を持てば勝てるとでもほざくのか」
 「そう聞こえました?」
 歯が軋む音が聞こえた。反対に私はニッコリと笑顔を浮かべる。
 懐から取り出したちっぽけなナイフを鞘から抜くと、馬鹿にしたような視線が返った。
 「・・・あまりオレを舐めすぎると、閻魔大王に面会する破目になるぞ」
 「どうとでも。今回ばかりは本気ですよ」

 鼓動が煩くて、いっそ止まってしまえばいいと思う。冷や汗よ流れるなと切に願った。総毛立つ感覚に背筋が震えて、ついでに手まで震えてくる。生理現象が どうした、今のちょっとの時間ぐらい、言うこと聞いてくれてもいいだろう。どうせいっつも私の願いなんぞ聞いてくれないんだから。だから、止まれ。何でも ないように、余裕を見せさせて。
 準備は整った。後は乗って来い、いつもみたいに。
 乾いた唇を唾液で湿らせて、ゆっくりと深呼吸を一つ。

 「───行きます」
 師匠譲りの獰猛な笑みが、銀の刃を彩った。








 「足場がいるんです」
 ピッコロさんに勝たないと、私、ここから動けないんですよ。
 表情が物語る。言葉の意味を理解できないとはっきり言われた。そうだろう、こんなの誰にもわからない。

 リストバンドに仕込んであった投げナイフを投擲する。白い空間に溶けた刃物を軽く避けた身体を追って、手刀を真っ直ぐ突き出した。その指の先には爪の延 長のように光る鋭利な刃先。普段の修行と同じくして手で受け止めようとした師の硬い肌を、それは難なく傷付けた。
 「何だと!?」
 「あんまりアンタの弟子を舐め過ぎないで下さい、よッ!」
 くるりと回して逆手に握り、躊躇いもなく振り下ろす。驚愕に硬直する瞬間を狙ったというのに一撃は頬を浅く裂いただけに留まった。異常すぎる反応速度 だ、全く嫌になる。毒吐き一つ残して深追いを避け、早々に離脱した。
 説明を要求する目はキッパリと無視するに限る。高々鋭利な刃物ごときが、鉄腕アトムも顔負けの鋼鉄の肌を傷付けるのは不思議で堪らないことだろう。ヒヒ ヒ、もっと動揺するがいい。

 ネタ晴らししてしまえば簡単なことだ。拳を、身体を気で覆って身体能力を上げる応用で、ただナイフにも気を被せているだけ。単なる鉄では切り裂けない気 の膜もアラ不思議、ナイフの細い刃先に集中させた気で裂いてしまえば、後残るのは普通よりちょっと丈夫な緑色の皮膚と肉。
 私は気を操るだけならば上手い。それを放出できないだけのことで。
 そして、アイデア勝負でならピッコロごときの単細胞に負けない自信はたっぷりとある!

 「アリだって、たまには象に歯向かうんだよ!」
 再び投擲した投げナイフを、ピッコロは前例を元にやたら警戒して大きなモーションで避けに行った。よし、計画通り。身体から気を離すのは苦手だっちっと ろうがバーカバーカ。内心をおくびにも出さず距離を詰める。刃を避け、腕を絡め取られた。
 防戦に転じる気はない。左を軸足に素早く地を蹴って、無茶な体制から回し蹴りを繰り出した。勿論打撃に効果がないことはわかっているので。
 「!?」
 踵を受け止められた途端、ブーツのつま先から刃が飛び出す。目を見開く再度の硬直を逃す手はない。足を捻って突き刺しに掛かると、即座に彼は飛び退い た。左腕それなりに深くゲット。
 「キ、キサマ・・・」
 「ふふふ、今日に限り私の尊敬する人は切り裂きチョッパー」
 野草にも棘があることもあるんだと思い知るがいい。右足に続いて左足の踵を地面に打ち下ろす。乾いた音を立てて飛び出した刃が、踏み込みに支障のない程 度に爪先を飾った。
 「安心してください、完全武装は今日だけですんで」
 2度3度と打ち合って互いに傷が増えていく。当然のことながら動揺に怯みがちだとはいえピッコロに勝れているわけもなく、消耗はハンパなく私の方が多 い。

 4本目のナイフを投擲。3度目のナイフは予想外に師の動きが鈍くて弾かれていたので、ダメージにならないことは学習されていた。避けることもなく弾かれ 地に落ちた2つのナイフを拾い、牽制するようにまた投げる。
 「何を無駄なことをしている!」
 掠るようなルートでもなかった。空しく地面に刺さった刃を一瞥する瞳が冷たい。
 「使えるものは使う主義なんで」

 血に滑る手を服で拭い、性懲りもなく5本目のナイフを構えた。突貫してきた巨体を避けきれずに受けて軽く吹き飛び、反転。
 空中で足裏に気を集め足場を作り出して滑空する。投げたナイフを追い抜いて、手にしたナイフで踊り掛かった。手が止められる。蹴り足も更に阻まれた。
 わかっているとも、アンタが止められないわけないだろう。空に伸ばした自由な左腕に追撃。咄嗟に気を纏い眼孔を狙って振り下ろした腕もやはり寸前で掴ま れる。舌打ち一つ、ナイフを離して強引に掴まれた右腕を引き抜くと、筋がミシミシと立てた嫌な音を聞く破目になった。
 追い付いた投げナイフを掴み取る。
 「───ッ、がっ!」
 深く肉を抉る、これが終われば2度と体験したくない不快な感触が手に伝わった。色濃くなる血臭に込み上げる吐き気を遣り過ごし、締まる肉に刃を持って行 かれる前に一閃する。返す刀で師の目蓋を切り裂いて、噴出し流れる血潮で視界を封じた。飛沫が私の顔を濡らす。
 前言通り刃物を使うのは今日だけだと改めて決意する。血の匂いは吐き気を催すし、見た目はグロいし、感触が不快だし。
 なんてったって、凄く悪いことをしている気になるし。

 身体を足場に跳躍。ナイフを『目標』に向かって投げ付けた。カン、と乾いた音を確かに聞く。
 「な・・・にを・・・」
 (3)
 重力に一瞬の舞空術をプラスして方向転換。気配を気取られないように、舞空術はすぐに解除した。
 (2)
 下降の勢いで頑強な身体を蹴り付ける。抉られた肩口に追い討ちをかけられ、視覚の閉鎖で平衡感覚を欠いた身が大きく傾いだ。
 (1)
 足りない。いっそ渾身の力を込めた捨て身のタックルを仕掛けてようやく棒倒しが完成する。太い首に腕を回し軸として背中に回った。吹き飛びすぎた身体を 全身を使って受け止め。
 足元、地面に伸ばした手を、硬い靴に踏み付けられて。
 「企んでいる───!」

 ギャン、と。

 「・・・・・・つぅ・・・ッ」
 「──────」
 私の手が。及び、ピッコロの左足と肩、首が。

 「─────────?」
 耳障りな音を立てて突出した太く長い金属錘に貫かれて、細胞という細胞を容赦なく引き千切られた。肌が、筋繊維が、血管が、生々しい音を立てる暇も与え られずに両断され、夥しい血液を垂れ流す。赤紫の液体がボタボタと降り注ぐ下で、赤と混ざり白に溶けて消えた。

 見上げれば、呆然とした様子で口からも血を吐くピッコロの姿。事態の把握ができていないのだろう。声を発しようとした唇からは空気だけが漏れた。ゆるり と瞳が私を映す。
 「・・・ぁ・・・・・・」
 返そうとした声はのどに詰まって消えた。
 足が力を失い、しかし突き刺さった凶器が彼の身体を固定している。私の気で覆われた鋭い円錐は見事にのどの中心を貫通して、皮肉にも折れる首を支えて。
 出血に、衝撃に。急激に意識を失っていく師を、私は言葉もなく見守った。

 ああ、喜んでいいのだ。バーリ・トゥードの戦いとはいえ、確かにこの瞬間私は無敵超人に勝ったんだから。快哉を叫んでこの勝利を堪能すればいい。満面の 笑顔でザマアミロこの馬鹿野朗と、スタンドに支えられる人形のような格好の彼を罵って鬱憤を晴らせば。
 「・・・・・・・・・」
 貫かれたままの片手にぼんやりと視線を移し、凶器の根元に手を伸ばす。
 ブルマに頼って手に入れた、金属錘を突出されるための装置。ピッコロに勝つためだけに望んだ、空間に馴染む白い凶器。解除のスイッチを震える手で押し込 むと、突出とは正反対の悠長さでノロノロと刃が仕舞われて行く。
 引き裂かれた肉が動きに巻き込まれて激痛を生んだ。意識のない師の身体が開放されて行くのを、ほんの僅か羨ましく感じた。意識がないってことは痛みもな いわけで、ああでもあんだけ風穴開くのは死んでもごめんだな。ていうか死んでるんじゃないのかこの人。
 倒れ込んだピッコロをお情けで支えて、ついでに心音を確かめた。

 「・・・しぶとい・・・」
 死んでない。とんでもなく弱々しいが、申し訳程度に刻む鼓動が掌を揺らしていた。口から漏れたのは落胆の溜息であって、間違っても安堵のそれじゃない。 ち、違うんだからね。
 ガチン。派手な金属音を立てて、血に濡れた円錐が円盤の中に納まった。ホイポイカプセルもそうだけど質量保存の法則はどこ行っちゃったんだろう。一目で わかる掌の穴を見ないフリをしてもう一度スイッチを押すと、方々に設置してあった白く小さな5つの起動スイッチが自動で引き寄せられて収納される。便利な もんだ。できれば起動に使用したナイフも持ってきて欲しかったとこだけど。

 師の頭を膝に乗せて、懐から取り出した仙豆を無理矢理に口に押し込んだ。2粒3粒とのどの奥まで遠慮なしに詰め込むと、意識がないなりに気道の危険を感 じたらしい。嘔吐きながら飲み込む様に満足して、自身も都合の良い豆を口に運ぶ。
 傷付いた全身が急激に再生する感覚はどうにも慣れない。顔を顰めて遣り過ごすのはいつものことだ。取り分け酷い手の回復が辛い。細胞が活性化し、繋が り、血をなくして冷たくなった患部に突如血液が回って痺れが生ずる。

 「・・・もう嫌だな」
 そうだ、こんな痛みを堪えるのはもう嫌だ。膝上の男の首を直視しながら零れた言葉に意味なんてない。ざわざわと震えながら再生が行われる、穴の開いた 首。血は未だ留まらず、私の膝頭に細い川を作り続けている。
 思わず手を伸ばして患部を覆うのは、生温い血液の感触が不快だから。
 「もういやだ」
 全身が震えるのは、目の前で知り合いが貫かれる光景が悪趣味過ぎたから。
 「もう、やだあ・・・」
 目から雫が零れ落ちるのは、全身が痛くて、再生が気持ち悪くて、我慢が利かないから。
 「・・・ッ・・・・・・ふ・・・ぅッ・・・」

 血を止めるのは死んで欲しくないからじゃない。
 心まで震えて仕方がないのは罪悪に駆られているわけじゃない。
 この涙は別に、ピッコロのためじゃない。
 私は私の確固たる信念の下に戦いを挑んで、私の自己満足だと自覚した上で刃物を持ち出した。今まで私が彼を傷付けられたことはそうないし、傷付けたとし ても薄皮一枚切り裂く程度のものだったけれど、私は何度も深手を負わされた。彼はそんな私を何度も叱っていたし、強くなればそれだけ喜んでもいた。そりゃ あこんなにも深く他人を傷付けたのは初めてだから、タブーを犯した恐怖はあるにはある。でも、私が彼をこうして傷付け返して勝利を収めたところで、それは 彼にとっては喜ぶべきことで、私にとっても同じように嬉しいことで。嬉しいはずの、ことで。
 そうだとも、嬉しいとも、師匠に勝てて、当初の目的を果たせて。それだけは確かだ。

 けれど。
 「ごめ・・・な・・・さ・・・」
 傷付いた身体が痛い。心が痛いのは極度の緊張と死にそうな恐怖。
 どこまでも誤魔化し誤魔化してベクトルを自分に向ける。そんなの絶対認めない。違う、自分の中に『そんな』思いはどこにもない。
 「ごめ・・・ッ・・・」
 違うったら。何を誰に謝ることがあるんだ。いいか、私は私の確固たる信念の下に戦いを挑んで、私の自己満足だと自覚した上で刃物を持ち出して、ピッコロ にはよく傷付けられて、私が強くなればピッコロは喜んで、だから私がピッコロをこんなにしたって何も。

 『
 脳内で垂れ流す言い訳を───畜生、認めてやろうじゃないか、言い訳だ!自分でも呆れ返るくらいに往生際の悪い言い訳を、ここ一年未満で聞き飽きた声が 遮る。勿論幻聴。

 『おい、
 最初は無感情な声だったと記憶している。それが段々と私を認識して、極々小さな変化だったけど、呼び声が原子一粒分くらい優しくなった。気付いたときに 思わず頬を緩めてしまった自分を、散々否定して粉々にして穴掘って放り込んで土被せて踏んで固めてコンクリを垂れ流して封じ込めた。

 『まあまあだ、な』
 修行の成果が認められるのが嬉しかった。初めて舞空術を使えたときにはさすがにピッコロを呪い殺すための百の手段を脳内が巡っていたものの、実際自由に 空を飛べるようになった頃には、私は無邪気に喜んでいた。初めて気弾をガードできたときにはパニックのあまりピッコロを闇に葬る千の方法が頭を占領してい たものの、これは修行のあらゆる面で生存確率を底上げするに繋がった。初めて気弾を出せたときには死の淵でピッコロを道連れにする万の計画を作り出してい たものの、自分が少年漫画の一員のようにレイ○ンを出せるとなれば興奮しないはずもなかった。そして何より、それらをマスターした自分をピッコロが満足げ に見ているのが堪らなく誇らしかった。そんな思いはトールハンマーでぺっちゃんこにして対戦車用地雷で爆破して捨てた。

 『精神と時の部屋の最果てよりは、きっと、遠い話だろう』
 私の帰還を嫌がる素振りが、信じられないことに中々心を満たしてくれた。あれだけ馬鹿だアホだ死ねお前が死ねと罵っておいて、いざいなくなるとなれば不 満だと。何だ、実はそこそこ好意を持ってはいるんだとは気付いていたけど、それを表面に出しちゃうくらいに私のことが好きなのか。惜しまれるというのはい い気分で、更にそれがピッコロだとなれば感動も一入というものだ。ちなみにその感動は、某シューティングゲームより召喚した光翼型近接支援残酷戦闘機エ ヴァッカニア・ドゥームなる兵器により跡形もなく砕け散った。

 『キサマではオレには勝てん・・・決してだ』
 確かにその時点での事実ではあったけれど、私はこうして彼を打ち破った。未来に絶対はないと知っていて勝てないと宣言したのは師としての意地か?違うだ ろう。アンタは結局、決別を惜しんだんだ。勝利をきっかけにここから離れる決意を秘めた私に心残りを生ませて、思い留めさせたかった。ほんの一瞬でもそれ を嬉しいと考えた自分が信じられなくてすぐさま心にブラックホールを生成して残らず吸い取らせたが。

 「・・・・・・・・・」
 未だ込み上げる嗚咽を噛み殺しながら愕然とピッコロの顔を凝視する。
 数々の過去の感情にケアルをかけて繋ぎ合わせてみると、絶望以外の何も感じられない事実が完成して私を打ちのめす。今の私は、地獄の亡者も裸足で逃げ出 す顔をしていることだろう。顔色はきっと悪い。仙豆でしっかり血液は補充できたはずなのに。
 心底から認めたくない事実を突き付けられて、思っていたこと全部が吹っ飛んだ。今までと全く違う方向で身体が微震動を開始する。膝に乗ったままのピッコ ロを蹴り転がして距離を取って、勢いが付き過ぎて止まれなくて尻餅をついて硬直した。

 とりあえずピッコロの意識が戻る前に、頼むから目から溶けて落ち続ける液体が止まってくれはしないだろうかと、現実から半分だけ逃避した。








 正ッ直に言おう。もういい、わかった、非常に心苦しくかつ逸らせるモンならとことんまで目を逸らしていたい事実だが、認める。正直に言おう。
 私は結構な師弟愛を感じている。ピッコロが好きだと言ってもいい。褒められれば嬉しいし、嫌われたら悲しい。恐らくはこの異世界で誰が一番大切かと言わ れたら、ピッコロであると渋々答えられる程度には突出している慕い具合だ。悟飯ばっかりに構ってるときがあると、とっきどき無性に寂しく感じて死をも覚悟 したちょっかいをかますこともある。次から次へと湯水のように湧き上がる悪戯のアイデアは、どうしたら効率良くピッコロの注意をこちらに向けることができ るかという起源があったりなかったり。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 ようし、このままの勢いで素直になってやろう。言い訳も撤回してやろうじゃないか。ピッコロが死ぬとか考えるだけでも嫌だし、大体血塗れで倒れて気絶し てるとかそれだけで悪夢だし、それをしたのが自分だと考えると今にも死にたくなる。対ピッコロ決戦用金属錘射出装置がここまでバッチリ決まるとは思ってい なくて、衝撃の瞬間には思わずショック死するかとも思った。もう2度と嫌だ。2度と真剣勝負みたいな怖いことしないし、刃物だって持ちたくない。
 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
 ・・・・・・・・・なんて。

 「ん、ンなワケあるかああああぁあぁぁぁぁああぁぁぁッ!」
 涙が乾き切るどころか眼球の充血すらもなかったことになるほどの時間を得てようやく至った結論に、頭を抱えて転げ回った。赤面し過ぎてそのまま茹り死に しそう。
 あり得ない!冗談じゃない!頭がおかしい!
 おまえMかッ!
 「むしろ死にたい・・・誰か殺してくれ・・・ッ!」
 「その願い、叶えてやろう」
 「屍になれえええ!」

 背後から前触れもなく聞こえた声に、驚愕のあまりうっかり裏拳を繰り出しながら振り返るドジッ子な私。視界が声の主を捉えるよりも早く、手の甲に確かな 手応えを感じた。
 視線をやれば、鼻を押さえて蹲るピッコロの姿。どうしたの鼻血なんか噴出して。
 「すいません、びっくりして思わず悲鳴を・・・」
 「条件反射で他人の死を望むとは随分と斬新だなキサマ・・・」
 「は、個性派目指してるんで」
 「まずオレの鼻の被害を謝れ」
 「うわ痛々しい。一体誰にやられたんですかピッコロさんともあろう者が」
 キサマああぁぁぁ!と両頬を捻り上げられて素直な悲鳴がのどから飛び出る。何よ、ちょっとした照れ隠しじゃないの。
 数十秒後にようやっと開放された頬は、きっとリンゴ病みたいになってるに違いない。しかし前妄言で赤くなった顔を誤魔化すには調度良いのか。痛過ぎて全 く嬉しくないけど。
 涙目で頬を擦りながら、なおもブツブツと言っても仕方がない文句を呟き続ける師の首を盗み見た。付着したままの赤黒い血液が患部を覆い隠している。多分 その下には未だ痕跡が残っているだろう。肉が盛り上がった不自然な痕。
 ふと思い出して自分の手に視線を移すと、想像の中の痕跡と同じものが大きく自己主張を続けていた。これ、いつになったら治るかな。いくら仙豆が再生補助 に定評のある豆だとはいえ、今日中に治るかどうかは怪しいものだ。

 「・・・・・・おい」
 「何ですか絶対勝てないとか言ってた負け犬師匠」
 忌々しい傷口に視線を感じて目を上げる。一瞬般若の顔が見えた気がしたが気のせいだったようだ。
 いつもより不機嫌そうな仏頂面を貼り付けたピッコロが、首筋に手を当てながら、胡乱な眼差しを注ぐ。
 「説明を要求する」
 首筋から、辿って肩口。おまけに私が刺し貫いた掌。言いたいことは十分伝わったので、頭を掻きながら適当に説明する。大変面倒くさい。
 刃物が通ったのは私が気で覆ってたからで、円錐はブルマから借りて事前に設置しといたモンで、投げナイフは起動スイッチ押すためで、アレを気で覆うため に接触しようとしたらピッコロが邪魔するから自分の掌貫通させるハメになって。
 概略だけをつらっと述べると、案の定ピッコロは不満気に口を尖らせた。そんな子供みたいなことしても気持ち悪いだけですよ。子供時代に戻ってかつピッコ ロじゃないんなら、そういう行動しても可愛がってあげるけど。子供時代に戻るのが無理なら、ピッコロじゃなくなるだけでも可愛がってあげる。
 「・・・小細工だけは達者だな・・・」
 「はははやだなあピッコロさん。その小細工におもくそやられといて負け惜しみですか」
 「死ね」
 やっぱり仙豆なんぞ食わせずに転がしておけば良かったと思う。それも今更だけど。いや、今からでも不意を打って対ピッコロ決戦用金属錘射出装置を起動さ せたら当たって死んでくれるかも。さっきまで考えて超弩級に否定したかった事実は、ちょっとした気の迷いだったに違いない。だってこんなに死んで欲しい し。

 「だが」
 「・・・ぁん?」
 声に反射で顔を見てぎょっとした。どこか満足そうに微笑む表情が眩い。
 「オレを出し抜くほどに成長したとはな」
 良くやった、と頭を撫でられて気道が閉鎖するほどの眩暈を覚えた。や、止めて、もの凄い恥ずかしい。あんまりにも衝撃的なお褒めの言葉に、赤くなるを通 り越して青褪める。
 俯いた私に不審そうな目を向けられるのが見なくともわかった。全く戦闘民族の思考回路は常軌を逸し過ぎている。自分を殺しかけた相手を褒めるとかどうい う神経。

 ───反則だ、こんなの。

 「どうした不審者」
 「髪が羨ましいからって触るなハゲ」
 容赦ないアイアンクローをスイッチに思考を切り替える。そもそもどうしてこんな面倒行動を私が起こしたのか思い出した。そういえば別に腹が立つから師匠 をボッコボコにしたかったとかじゃなかったんだったっけ。

 表情を正して顔を上げる。頭の上に乗せられた手が、目が合った瞬間ほんの少しだけ動揺に震えた。一拍を置いて離れて行った大きな手をぼんやりと見送っ て、躊躇いがちに口を。
 「それで、。キサマはこれで帰る・・・のか」
 開こうとした途端に挫かれて苦虫を噛み潰した。
 「・・・まあ、帰りますよ」
 「・・・そうか」
 なんて最も気まずくなるタイミングを選ぶのが上手い生物だ。
 話を進めるきっかけを奪われて二人して黙り込んだ。時折舌打ちやら溜息やらが耳に届くので静寂が重いとは思わない。代わりに異常に居心地悪いだけで。あ んな、そういうのはこっちに聞こえないようにするのが礼儀だぞ。
 ・・・ああもう。

 「あのですね、ピッコロさん。私は確かに帰りますけど!」
 腹を決めて半ば叫ぶように勢いを付ける。根本的に、私を理解しているようでしていないのだ、彼らは。
 そりゃあ帰るとも。だって、私には父親も友人もいるのだ。あの人たちは急に私が神隠しよろしく消えて、まあいいか一人くらいいつの間にかいなくなっ てても何とも思わねぇや、などとスッパリ切るほど白状な奴らではない・・・と、思う。多分。
 だから。
 
 「あっちに帰るのは、別れを告げるためです、よ」
 「・・・何だと?」
 初めは。
 初めは全く持って帰る気しかなかったのだ。こちらを選ぶ気なんてこれっぽっちもありはしなかった。なのに。
 「あっち帰ってどうしろっていうんですか。夢だと思うにはあんまりにも濃い上に、良い思い出だったと振り返るには鮮明過ぎるし。大体空飛ぶ移動に慣れ ちゃって地下鉄だの車だの使う思考がすでにないし、日常生活にも支障をきたすんですよ」
 なくすにはあまりに惜しい。ジェットコースターみたいなこちらの生活が自分には思った以上にヒットしていた。ホームラン気持ち良くてっていうかデッド ボール当たり過ぎて後に引けない感じなのがネックだけれど。
 「だから、最終的にはこっちでずっといられるように、お別れしてくるんです。今までありがとうございました、これからも元気に生きて行きますって。何も 連絡なしにいなくなれるほど、私は薄情でも恩知らずでもないつもりだし」
 
 ぽかんと間抜けな顔を晒したピッコロを気恥ずかしい思いで見物する。
 ちなみに、と付け足して。
 「今年帰るつもりもありません」
 「・・・・・・は?」
 「私が帰るために貴重な願い事を一つ消費すると、その分凄い人口が不幸になるんで。誰かの恨みを買うのは御免ですよってことで、ひと段落してから帰ろう と思ってます」
 はっきりと告げた私に、人語はさっぱり返ってこなかった。
 茫然自失としていても、キサマがいなくなったら清々するだろうと喜んでいたオレの幸せをぶち壊しにするとは万死に値する裏切り行動だから死ね、くらいは 本能で垂れ流すかと思っていたのだが、大幅に予想がハズレた。そんなこと言ったら「じゃあ帰る」とか返してやろうと思ってたのに。

 手の中の血塗れ装置を弄りながら反応を待てども、やはり混乱したままのピッコロはしばらく帰ってきそうにはない。暇だったので何の気なしに装置を作動さ せてみたら、間一髪で串刺しを免れた宇宙人に殴られた。悪気はないんだよ。悪意はあったけど。
 「ついでに、ピッコロさんに挑んだ理由はプライドの問題なんだけどね」
 戦闘民族は戦闘に特化し過ぎてて、アップテンポな話題変換に付いていく機能が退化しているようで困る。煙が出そうな様相は見てて楽しいがそろそろ飽き た。
 「だって、負けっ放しで帰らない宣言って、まるで勝てないのを心残りにしてるみたいで嫌じゃない。だから何が何でも今回は勝たないといけなかったんで す」
 負けてたら私、今年で帰ってもう2度とこっちには来なかったと思うんだよ。
 今となっては破棄した考えに、師は隠すこともなく目を剥いた。ははは、自分の行動が目的と正反対だったなんて滑稽だろう。ざまみろ。
 「おわかり?」
 唇の端を吊り上げて目を細める。邪気満々の笑みを浮かべるのが酷く久しぶりのような気がして気分が高揚した。普段の万倍は憎たらしい笑みになったと思 う。

 青筋の浮いた男から即座に距離を取って、白い空間を軽やかに歩き出した。
 さて、さっさと帰ろう。帰って、やきもきしている奴らにも決めた心を打ち明けてしまわなければならない。戦いがない分天と地以上に楽だろうけど、泣き喚 くガキ2人を宥めすかすにはきっと多大な労力を消費する。悟飯はどう反応するだろうか。素直に喜ぶか、それとも最近アイツピッコロに似てきたから照れ隠し に攻撃してくるかも。ベジータは情け容赦なく殺しにかかって来るだろうな。想像するに難しくなく背筋が凍るが、今回を凌げば何とかなるはずだ。もしもZ戦 士全員での一斉掃射だった場合には果敢なく散るしかないから、その場合にはスッパリ命を諦めよう。どうしようもないモンはどうしようもない。
 ・・・あ、ちょっと帰りたくなくなった。一生ここにいたい。

 「・・・
 「はい?」
 首だけで振り返ると、史上最強にムッツリとした顔が私を睨み付けていた。何だ、喧嘩売ってんなら買うぞ。まずハンデとして私が小脇に抱えた兵器をぶっ刺 してね。
 軽口にも乗って来ずに押し黙る木偶の坊。眉を顰めて足を止め全身で振り返る。太陽ないから光合成できずに電池でも切れたのかな。首を傾げて予備バッテリ を探しに一歩踏み込んだところで。

 「・・・・・・殺したいほど癪に障るが、今後も面倒を見てやらんこともない、ぞ」
 苦い響きが耳を擽った。驚きに目を瞠って息を呑む。まさか、悪態ではなくツンデレが降り注ぐとは予想の範疇外だ。
 竦み上がる肺にゆっくりと酸素を送って、唇に笑みを刷く。頬を染めてそっぽを向いた師が、一瞬だけ私を見て、すぐにまた目を逸らした。そんなに恥ずかし ければ言わなければいいのに。
 私の面倒を見てくれるって?あんだけ口癖みたく死ね死ね言ってたくせに?
 「ピッコロさん」
 温かい心中を素直に受け入れると、自ずとこれまでにない笑みが顔に乗った。ふんわりとした優しい笑みは、今までこの世界では浮かべていなかったはずだ。
 綿帽子を手にするような慎重さでそっと口を開いて。

 「だが断る」

 切り裂く。

 「どぁあああああああれが地獄の悪鬼に面倒なぞ見て貰おうと思うもんかよおおおおお!」
 「キ、キサマアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 赤布を眼前で振られた猛牛のごときダッシュを見せたピッコロから全力で逃げ出した。抱えた兵器を放り出し、ついでに投げナイフその他の重り、ブーツすら も投げ出して駆ける。
 そこで可愛らしく頷いて仲良しこよしの師弟ごっこを成立させてなるものか!意地でも憎たらしいクソ弟子を貫いてやるわ!
 好意は胸の内奥底深くに。
 悪意は押し出し全面に。
 わかってんだろ、そういうのが私たちには相応しい。本日のシリアス加減は本日限りに収めて、似合わないやり取りはもう止めにして。
 いつものやり取りに戻るまで。

 ───とりあえず、最低24時間は果てしない白い空間で鬼ごっこでもするとしよう。


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総 字数、約2万字。卒論の最低字数完全に超えてるじゃないか気持ち悪い。長い。
本編決着話がやっと終わったので多分次で終わりです
あとシリアスも終わり。それが一番嬉しい!
ところで実はお互いちゃんと好きだよって、まるで今回ドリーム小説のようじゃないですか?



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