「トッテ、きっと墓にいるんじゃないかな」
 気楽な調子でそう言った転校生の思考回路が理解できない。すでに雑然とした部屋の中、物騒な装備を次から次へと引っ張り出すに、扉に凭れ掛かる皆守 は 苛立つ。
 「で、お前はどこへ行くって?」
 「夜の墓場にはお化けが集まるらしいよ」
 「砂掛け婆にでも会いに行くってか」
 「・・・選択肢がマニアックだよミナモリ」
 最早呼び名に突っ込む気も起きない。ナイフの具合を確かめるように抜き、仕舞う動作を繰り返し、ベルトに固定する。更にダンボールの底を漁るその背に言 葉 を吐き捨てる。

 「取手がいるから行くのか、宝探し屋だから行くのか、どっちだ」
 「どっちも。でも今日は前者がおっきいかもね」
 通称パイナップル、とか呼ばれるタイプの手榴弾をゴロゴロと床に転がしたときにはさすがに驚きを禁じえなかった。いくら正体がばれているとはいえども、 こ れは堂々とし過ぎではなかろうか。アロマを銜えた口元を軽く引き攣らせた。

 「救いたいってんなら、止めておけ。無理だ」
 弾薬を確認してハンドガンを胸元に仕舞い込む。一緒に下がったらしいハイネックの襟を慌てた様子で引き上げて。
 「なんでやる前から無理だと決め付けるのかな。勿体ないじゃない。救う手伝いくらいできるかもよ」
 目だけで皆守を見て、ふふ、と含み笑いを零した。その笑みに無性に苛立つ。ラベンダーの香りは鎮静効果を発揮しなかった。こいつは何もわかっていない。 だ からそうして余裕ぶっていられるのだ。
 反論を許さず、は続けた。
 「俺は別に、救いたい、とか明確に思ってるわけじゃないさ」

 訝る皆守を置いて、男はノートパソコンより多少小さい機械(H.A.N.Tとか呼んでいたか)を取り上げる。電子音を鳴らすそれを慣れた動作で操作する 様 は───。
 「げ」
 ピタリと指先が石と化した。困り顔で視線を揺らめかせた、その珍しい表情を眺める。
 「どうした」
 「・・・八千穂ちゃんからラブレター」
 差し出された蛍光色の画面に目を向けると、あの女らしい陽気な文面が踊っていた。内容につい顔を顰める。半眼で視線をに向けた。やはり眉尻を下げた ま ま、苦笑する。
 「お見通しみたいね、彼女」
 「拒否しろよ」
 「拒否したらばらしちゃうぞ、って釘刺されちゃってるのよねえ」
 どうしようもねえよ、と息を吐く彼は・・・実際のところ、そうさせない手はいくらでもあるのだろう。しかし指摘してもどうせ流されるだけのことで。

 「頑張って子守り頼むよ、アロママン」
 「それは俺のことか・・・!?」
 次に笑った顔は、ちっとも困ってなどいなかった。
 俺は行かないぞと怒鳴る声が寮に響き渡って、苦情の罵声を受けたのはコイツのせいだ。

 『今日、お墓行くんでしょ!あたし置いて行ったらクンの職業、触れ回っちゃうゾ☆覚悟しておいてね〜』







九龍妖魔学園紀Ylno irxxar
「だれもみんな(だれひとりとして)」後編








 墓の中、遺跡に降り立つ。普段からほとんど立てない足音は殺す必要もない。埃っぽい空気が鼻を刺激して、一つくしゃみをした。
 「広いねー、凄いね!学校の下にこんな場所があったなんて!」
 「おい、八千穂、無闇に歩き回るな」
 人の入った形跡のなかった穴。となれば他の出入り口も存在するのだろうけれど、この穴は存外使いやすい場所に存在していた。
 暗視ゴーグルも必要ない光量を常に保つ、ここは広場。朽ちた柱、剥がれた床石、一部倒壊した天井。瓦礫の山が折り重なってはいるものの、襲い掛かる者も な く。入ってすぐが平和な空間、という利点は捨て難い。他の入り口を探す必要性は感じられないので、今後もここを利用すれば良いだけだ。

 「ほら八千穂ちゃん、こっちおいで」
 「はあい」
 ロープで降りてすぐの扉を開く。というか、今はそこしか開かない。重い扉はあまり抵抗せずに道を譲った。
 テニスラケットを握った八千穂が小走りに近付く。嫌な予感に、恐る恐る。
 「それ、もしかして武器なの?」
 「そう!もしお化けとか出たら、テニス部部長の腕の見せ所でしょ!」
 「お化けに物理攻撃が効くのかよ。本職に任せておけばいいだろうが」
 お願いだから前には出て来ないでね、と諦め口調で諭すと、良い子の返事が広い空間に響いた。本当にどうしようもねえよ。吐息に交えた呟きは幸い彼女に届 か なかったようだった。

 言った傍から颯爽と前へ出ようとする八千穂に眩暈を覚えながら、その首根っこを引っ掴んで皆守に渡す。無言のまま大人しく受け取った彼も、にしてみ れ ばある意味眩暈の素で。
 「結局付いて来てるし」
 からかいの視線にばつ悪そうに顔を背けた。ラベンダーの香りがフワリと広がる。
 「うるせェな。子守りしろっつったのはお前だろうが」
 天然パーマの癖毛をかき乱し、ついでに文句を垂れる八千穂の脳天に軽くチョップを落とす皆守。戯れながらも周囲に気を配り続けているのが、まあ彼らしい か。

 「あ、両名ちょっとストップ───ええと・・・はい、良いよ、行こう」
 開かない扉を、脇の石像を操作して開錠した。カチリという軽快な音が跳ねると、扉は自動で通路を示す。奥に広がる通路に足を踏み入れる。罠はない。浅瀬 で あるこの階は、別段小難しい謎解きがあるでもなく、サクサク進んで行けるお手軽さ。
 「あれ、また開かない」
 「あの、八千穂ちゃん。ここはいいけどさ、不用意に触ると後々危ないから今の内に慎重になる準備しておこうか?」
 言いながら、八千穂の背後から手を伸ばして扉に深く刻まれた模様を指で辿る。迷路のようなそれを規則性を持ってなぞると、先の扉と同様に、掛かっていた 鍵 が音を上げた。
 「・・・・・・・・・」
 もしかしなくとも忠告を聞く気が毛頭ないのだろうか。率先して境界を潜ろうとする八千穂を慌てて引き戻す。
 ちゃんと持っていろ、とまたも子守り役に引き渡すに、彼は無言で目を向けた。
 「じゃあ、ちょちょいと行ってくるから、できれば動かないでね」
 「・・・あのな」
 「良い子で待っててねー」

 口を開く皆守を待たずにブーツの底を地に這わせる。足音を普段以上に極力消して、呼吸音の欠片すら漏らさぬように。狭い廊下から低い体勢で広間に身を躍 ら せると、四方から殺気を感じて身震いした。
 それは恐怖ではなく本能がもたらす興奮。死の淵の境界の、最も生を強く感じる瞬間。

 殺し合い。

 大振りのナイフを右手に。小振りのナイフを左手に。慣れた動作で引き抜き、無造作に両の腕を横に振るう。2方から素早く飛び付いてきていた異形達の首が 鮮 血を迸らせた。
落ちる蝙蝠に似た異形の小さな身体。腕に掛かった負荷を振り切り、左手を閃かせる。手放したナイフは一直線に正面で歪な腕を突き出した僧のごとき異形に。 吸い込まれるように頭部の水槽を貫いた鋼に目もくれず、更にの身体は踊る。
 周囲10メートル程なら肉眼で視認できる適度な光量。それ以上先に潜む敵も、気配を読めば居場所は容易に掴めた。異形───ロゼッタ協会は化人と呼称し て いたか。それらの気配は結局、人間と変わらない・・・どころか、より強く濁る気は人間より遥かに感知しやすい。
 石畳をブーツの鉄底で蹴り付けて後方側宙。寸前までの足があった空間を、強靭な腕が大振りに薙いだ。着地と同時に地を踏み切り、攻撃後体勢を崩した ま まのミイラに強烈な蹴りを浴びせてやる。
 素早い動きにを見失う化人にも容赦などする筈がない。呼吸を止めて気配を消す。己が死んだことにすら気付かない早さでぶつ斬られた人型の化人は、数 秒 後、思い出したように血を噴いて倒れ込んだ。その身体が床に抱き留められ音を立てる前に。
 乾いた音が空間に響く。立て続けに3発。正確な狙いを定なかった発砲は、それでも標的を確かに捉えた。ギイィ、と耳障りな悲鳴が尾を引いて消える、3つ の 気配。そして、ギィン、と悲鳴を上げる放り投げられたナイフ。

 広間が静寂を取り戻した。
 念のため慎重に部屋の気配を探る。見えざる触手に引っ掛かるのは、後方で待機する2人の命だけだった。そこでようやっと息を止めていたことを思い出す。 深 く空気を肺に入れると、濃密な血の匂いに咽そうになった。
 「・・・え?」
 時間にして十数秒、あっという間に終わった戦闘を、八千穂達は言われた通りに動かないまま、呆然と凝視していたようだった。
 間の抜けた声を漏らして、少女が瞬きを繰り返す。
 「あ、あれ、何?ていうか、え、、クン、あ、あれ?」
 混乱の境地に立たされた八千穂に苦笑を返した。赤くなったり青くなったり、慌しいことだ。

 恐慌の百面相を横目にハンドガンを収納。投擲したナイフと、発砲のために手放したナイフを回収し、満遍なく血が付着したそれを、アサルトベストから引っ 張 り出した布で適当に拭う。ついでに赤に塗れた腕の汚れも落として、同じく取り出したビニルの袋に詰めて仕舞い直した。ベルトに固定された鞘に差し込む。
 少量の血を含んだ袖口から鉄の匂いがする以外には戦闘前と姿を同じく戻したに、八千穂はどうしても現状が理解できていないようで。
 同じように戦闘を見ていた皆守は、憮然と目を据わらせた。

 「何だあれは」
 「そんな、やたら端的に八千穂ちゃんの混乱通訳されてもなあ。俺達はケヒト、とか呼んでるけど、言わば怪物とかお化けとかの類だよね。あ、でも、人間と 同 じように攻撃は通用するから心配ないよ。人間と違って見境なく襲い掛かってくるけど」
 「それも疑問ではあるがな。お前、明らかに慣れているだろう」
 「えー、化人退治に?もう3年も宝探し屋やってるからね。ずーっと戦い続けてるんだから慣れるのは当然でしょ」
 「・・・俺が何を言いたいのかわかってて言ってるんだな?」
 「おおかた」
 のらりくらりと交わすの答えに眉間の皺を深める。ガチリと、歯がアロマのプロップにきつく当たる音がした。気持ちはわからんでもないが、短気は損 気。 からかう側は、短気な人間ほど余計に茶々を入れたがるのだといい加減に気付いても良い頃だろうと思う。

 勿論、疑問の方向性ははっきりと理解した上ではぐらかしていた。つまり。
 「、お前、この遺跡に何度入り込んでるんだ」
 「今日でまだ3回目」
 ぶりっこぶって両手を組み合わせる。わざと馬鹿面で笑ってやると、男の顔がはっきりと引き攣った。
 「ということは、だ。・・・初日にあれから、また戻ったんだな?」
 「山があったら早く登りたいじゃない」

 威圧を込めた牽制が今更通用する訳もない。ほら行こうか。朗らかにそう言うと───突然背後から、腰に結構な質量が圧し掛かってきて驚いた。ついでに何 か 硬い物が腹部を直撃して、ぐえ、と呻く。
 敵、ではない。殺気どころか敵意すら感じなかったのだから。半身を捻って視線を向ける。目が合うと塊は泣きそうな顔をした。
 「や、やちほちゃん、どしたの」
 塊こと八千穂の下がった眉を視認した。となれば腹部を直撃したのは握られたままのテニスラケットか。泡を食って絡み付いた細い腕を取り、腰から引き剥が す。腰は色々と危ない。二振りのナイフとか、の性別事情だとか。身体を離そうとすると、嫌々と子供のように首を振って背中に強く顔を埋める。
 「ちょ、ちょっと、あの、顔、痛くない?硬いでしょう、下にプロテクター付けてるんだから。ていうか俺が痛・・・八千穂ちゃん?」
 折角離した両腕も、またの身体に逆戻り。今度はプロテクターの上を締め付けたので焦る必要はなかった。
 それでも女の子が痛そうな顔をしているというのは放っておけない。皆守に救援の視線を投げ掛けるも、友達甲斐のない彼は肩を竦めるだけ。早々に見限って 再 び八千穂に向き直る。

 突然の彼女の反応は、に理由を掴ませなかった。脳のデータベースから「一般人の化物を見た反応」を引っ張り出して、できるだけ寛厚な口調を心掛け る。
 「怖かった?」
 こくり、と素直に首を縦に振った姿に安堵した。いくら陽気で好奇心旺盛であっても、やはりまだまだ子供で、女の子。グロテスクな化人と、セットで惨殺の 様 まで見せられて平静を保てる方がおかしいのだ。
 (例えばミナモリとかね)
 頭を撫でてやろうとして止めた。掴んだままだった腕を優しく撫でる。
 「大丈夫だよ。襲い掛からせたりなんかしないから。あの程度ならちゃんと守ってあげられる」
 高校時代から常軌を逸した環境で鍛え上げられたが、不覚を取ることなどまずあり得ない。自信を持ってそう言うと。

 彼女は弾かれたように顔を上げた。
 「違うよッ!」
 驚いて手を放した。皆守がアロマを取り落としそうになる。それ程の剣幕だった。
 気のせいか瞳に微かに怒りを抱いて、八千穂は怒鳴る。
 「あたしが襲われるのが怖かったんじゃなくて、クンが襲われてるのが怖かったの!あ、あたしは、モチロン怖かったけど、そういうんじゃなく て・・・!」
 ラケットを握る手が白い。
 「あんな怖いもの相手に、クンがもし大怪我でもしちゃったらって・・・思って・・・」
 震える身体で、更に回した腕に力が篭った。数秒の自失。密着した柔らかな身体を無理に離すのは・・・難しい。ラケットのグリップは相変わらず鳩尾を圧迫 し ていたけれど。

 (う、うわ)
 正直───感動した。
 これ程の衝撃は久しぶりだった。サラーが助かったのだと知ったときの衝撃とは、悪いが比べ物にならないような感動。胸が熱くなる程のそれは、頬にまで血 を 巡らせる。あまりの不意打ちに、10代の青少年にも負けず劣らずの赤面を披露して。
 「おい、?」
 「・・・クン?」
 こんなにも弱いただの少女が。何の力も持たず、血で血を洗う戦いを味わったことのない安穏と生きてきた人間が。
 初めて見た化け物の前、心配するのがまさか、自分自身ではなくてのことだなんて!
 衝動を抑えきれずに身を捩って、巻き付いたままの腕ごと華奢な作りの身体を掻き抱いた。
 「ああもう八千穂ちゃんてば可愛いーッ!」
 「えわきゃああ!?」
 驚愕に跳ねる身体をすぐに手放す。非常に名残惜しかったが、共に離れた細い両腕に解放された自身を数歩下がらせた。

 「へへ、ごめんねありがとねー、心配させて、してくれて。でも俺は大丈夫。平気だよ、慣れてるからね」
 頬を情けないほどに緩ませて顔全体で笑う。恐らくまだまだ顔は赤いだろう。八千穂を伺うと、彼女も同じく顔を真っ赤にさせていた。
 「じゃあ、お待たせ、行こうか」
 踊る胸を宥める努力も放棄して、喜びに足を任せる。軽い歩調は普段に増して。暗く湿った遺跡に似合わない自分の上機嫌さが気持ち悪い。

 すっかり大人しくなって俯き気味に後を付いて来る八千穂と、先行してに追い付く皆守。彼は、少女に聞こえない音量で尋ねた。
 「・・・なんで頭を撫でるのは止めた?」
 ひらり、と手を振って、愚問に答える。
 「血塗れだもの」 








 「やあトッテ。また随分と面変わりしたもんだね。何そのパンクな格好。趣味?そういう趣味なの?」
 「・・・・・・・・・」
 遠くに立つ彼はの軽口に何の反応も見せなかった。

 目も口も。拘束具で覆われた頭部で、果たしてこちらは見えているのか。今すぐに剥ぎ取って確認したかったが、生憎とあちらとこちらを隔てるのは、数体の 化 人。蝙蝠の姿のそれは、別段苦となる相手ではない。それでも取手がこちらに攻撃の意思を見せている以上、は油断はできない訳で。
 長い腕。それを生かした攻撃方法・・・だろうか。それとも音楽を利用した攻撃か。はたまたやっぱり。考えながら、取り敢えずは大振りのナイフを抜き放 つ。 薄闇の中、鋼は鋭く僅かな光を反射した。
 「取手クン・・・まさか、取手クンが言ってた《執行委員》って・・・」
 沈黙は肯定だった。頷くでもなく顔を背けるでもなく、取手は己の静寂を維持しようとする。音を恐れるように、足音を立てることでさえ怖がるように、動か ず、じっと。
 血の気の引いた八千穂とは対照的に、皆守は何も言おうとはしなかった。眉を顰めて、不快をあらわにする、ただそれだけ。こんな時でさえアロマを吹かすの は、精神安定のためなのか、日常の線上か読み取れない。

 前方から意識を外さないままに横目で二人の様子を伺って、は溜息を吐いた。
 「トッテ。なんであんなことしたの」
 幼子を叱る気分でゆっくりと言葉を吐き出す。理解できなかった後方の二人が訝る。取手の肩が揺れて、スローモーションで首を傾いだ。動きと共に、気が黒 く 変色する。揺らめく。
 「・・・あんなこと?」
 やっと開いた彼の声は陰鬱だった。昨日の声はもっとマシだったじゃないか。叱り飛ばしたいとは、思うだけに留める。
 「女の子の手。元はどれだけ綺麗だったんだろうね、可哀相に、あんな干乾びちゃって」
 息を呑む気配。後ろの非難が来る前に、取手は無感動に言う。
 「何故僕が」
 「昼間に女の子抱えたミナモリ見たとき何も聞かなかったでしょう。手は見えてなかったにしたって、この無気力男が自ら善行してることに疑問も持たず、訝 り もせず。それはちょっとおかしいんじゃない?」
 「会って三日でなんて言い草だ」
 「反論は墓穴掘らない程度でどうぞ、アロマさん」
 驚愕よりもそんな反論が先立つのかお前は。苦笑して振り返ると、案の定八千穂は目を見張って硬直状態。ラケットを、混乱をかき消す風にブンブンと振っ て、 皆守からの注意を食らっていた。もう彼にはアロママンの呼び名が相応しいと思う。

 「・・・それだけで、わかるものかい?」
 「推測は難しいことじゃないよ。トッテがやけに不安定になっていて、彼女が手を干乾びさせていて、ミナモリに疑問もなく、おまけにグラウンドでのセリ フ。 墓地に行かないように注意した上でトッテがここにいて、戦う気満々、ということは、《執行委員》は墓守の役目もあるのかな。まあつまり、トッテは《執行委 員》なんだね。そしてトッテは───『力』を持ってる」
 淡々と紡がれた音の最後、彼はようやく人間らしい反応を見せた。
 「『力』・・・見ただけでわかるものだとは思わないけれど」
 「俺の感知力は特別製でね。《執行委員》はもしかして皆『力』を持っているものなのかな。正直その『気』は不快。早く放出してしまうといいよ。それは良 く ないものだ」
 「駄目だよ」
 黒い気を纏った取手は強い調子できっぱりと宣言する。ざわりと揺れた気配に、僅かな緊張を纏わせてナイフを構えた。

 静かに待機していた蝙蝠達が翼で空気を打って浮上する。ギイ。耳障りな音は、10か、11か。ナイフだけでは後ろまでフォローできない。ハンドガンを左 手 で取り出し、弾薬の数を確かめた。は右利き。さすがに銃は左では照準が狂うが、この際仕方がないだろう。主力のナイフを左手で持つのは効率が悪過ぎ る。
 が、下がってろ、と声を張り上げるのと、取手が狂気に溺れるのは同時だった。

 「それじゃあ姉さんの願いが叶えられないッ!」

 叫びに呼応して風となる蝙蝠。人としては最高域を誇るの動体視力が、向かってくるそれらを逃さない。
 タイミングを合わせて大きく踏み込む。振り切ったナイフに掛かる2度の重圧。間もなく骨ごと切断して、鮮血が宙に模様を描く。一歩下がって付着を回避。 衝 撃で、ナイフに絡まった肉片が石畳にベチャリと落下した。休む間もなく躍り掛かる次の獲物を、視線も向けずに一刀両断。反対側から横をすり抜けて八千穂を 襲おうとした愚か者は、慣れない左手での狙撃の前にあえなく屈した。
 (姉さん、ねえ)
 舞うように広間を駆け抜けながら思う。取手は姉さん、と言った。それが大事な人だろうか。願いとは、干乾びた手との関係は?
 音楽は?

 奇妙な音に多々良を踏んだ。眩暈を覚える、酷い脱力感。生気を根っから吸われる不快。よろめく隙を狙った蝙蝠を、返す刃の背で殴り付ける。勢いを失った そ の小さな胴体を、渾身の力を込めて蹴り飛ばした。確認せずともわかる、壁に叩き付けられて動かなくなる命。
 「───ッ?」
 脳の一部の麻痺を思わせる感覚だった。次いで、指が精密な動作を拒む。一気に霞掛かる意識を繋ぎ止めるために頭を振って、恐らくは因子であろう音源を捜 す。
 黒い気が揺らめくのを忌々しく思う。似たようなあれは、いつまでの人生に纏わり付くのか。爬虫類の皮膚のように粘着質な負の気。高校時代、命を『落 と させて』きた奴らと同じ、それは。
 「トッテ・・・それは、駄目だ・・・」
 それは。
 蜃気楼のようにぶれる視界に認める、長い腕を前に突き出し、黒い気を放出する取手に胸が痛んだ。奇妙な音はその腕から。を包み込む不快な気が、音を 取 り込んで全身を苛む。
 脇から特攻してきた蝙蝠を、それでも切り捨てることは放棄できない。脱力感を振り切って、1匹、2匹。3匹目で空振り、翼を薙ぐに終わった自分の不甲斐 な さを胸中で叱咤する。後悔する間もなく左で握る銃口を即座に化人に───。

 「クン、あぶなーいッ!」
 向け終える前に、物凄いスピードで飛来した黄色い何かによって、小さな生物はの視界から姿を消した。思わず眩暈も忘れて呆然と行く末を見守る。吹っ 飛 ばされた身体は更に、勢いを持ってもう1匹を巻き込んで縺れて落ちた。
 タタン、と落ちるのは、化人から離れたテニスボール。

 信じられない思いで見送ると、突然襟首を引っ張られて呼吸を阻害される。
 「ぼさっとしてるな、次が来るだろうが!」
 「え」
 勢いよく後方に下げられて皆守に背から激突した。状況をイマイチ掴めないままでも、染み付いた戦闘癖が消えることはない。受け止められたままの姿勢でほ ぼ 無意識に右手を一閃。刃と柄の境目にぶち当たった哀れな夏の虫は、半ばまで切り裂かれ、半ばは皮膚をへこませて地面に激突する。
 「ええと」
 ラスト一匹を、持ち替えた銃で撃ち落して。

 「や、八千穂ちゃん、凄いね、ありがと」
 「えへへー」
 半分怖いもの見たさで振り返ると、ラケットを振り切った姿のままでに向けて笑顔を見せる八千穂がいた。
 「怪力」
 「な、なによう、力じゃなくてテクニック!テニス部部長の実力!捻り込むような弾丸サーブだからきっと倒せたんであって・・・きっとストレートじゃ倒せ な かったもんッ!」
 「そうかなあ。十分いけると思うけど」
 皆守にも礼を述べて体勢を立て直す。シリアスから一足飛びに遠ざかった雰囲気に、取手との心の距離が遠くなった気さえした。 








 音はとても大切で、それはいつもお前の傍にある。お前を支えて、苛んで、救って。それらはどこまでも、お前を強くするだろう。
 語り掛ける声は今でも耳の奥で響いている。基本的には捻くれた人だったけれど、兄は愛情を持って、にとっての支柱を創ってくれた。全てに耳を傾けて 言 葉を聞き、己に取り入れる術を教えてくれた。
 兄自体が支柱であった頃の自分は、その兄を失ったとき、どれ程不安になっただろう。義理の兄が支えてくれなければ、自分はどうなっていただろう。想像し て みるだけで胸を苦渋が満たした。もしそうであれば、は何と辛い道のりを歩んで来なければならなかったのか。

 発狂の中、取手は姉を語った。姉の死を認められない彼は、つまりその想像の中のなのだろうか。
 音楽を愛して取手を愛情で包み込んだ姉。その志を受け継いで音楽を愛する取手。支柱だけを構成して、絶望に崩壊した彼はあまりにも悲しい。
 幸せかというの問いに、そう、取手は。
 「ああ、幸せさ、姉さんは今ここにいて、僕に語り掛けてくれる!」
 取り囲む化人を排除し終わった今、取手に近付くことは容易だった。しかしは一定の距離を保ったままで取手の攻撃を避け続ける。

 「幸せなら、トッテはどうしてそんなに不安定なの。どうしてそんなに悲しそうな顔をしているの?」
 「幸せだから安定しているとは限らないさ。いつ誰がこの幸せを壊すのかと怯えているだけだ───君のような無神経な人間にッ!」
 暗い音波が耳を掠めた。強烈な耳鳴りを覚える。それでも、は嘲笑を浮かべた。
 「恒常の幸せを求めているのかな。なんて傲慢なんだろうね。全ては壊れて自分で構築し直すものだとどうしてわからないんだろう」
 ふふ、と鼻で笑い飛ばして。
 「俺は確かにトッテの目下『幸せ』を壊そうとしてるよ。見てらんないもの。なあに、その現実逃避。分岐した自分を見ているみたいでとーっても不快」
 自分勝手な理由を振りかざす。再来する音波を気の波で迎撃、相殺。平手を打ち合わせたような乾いた音が響き渡った。
 「傲慢は・・・!」
 「俺もだねえ。むしろ俺こそが傲慢?上等さあ。俺は自覚していて、その傲慢さを振りかざすのは気に入らない状況に対してだけですもの。無自覚と自覚ア リ、 どちらがマシかどうかは置いといて、はてさてふふーん」

 飛び散った音が頬を裂いて赤い花を散らした。後ろは大丈夫かと視線を走らせる。二人に外傷は見受けられない。ただ、顔が青いのは・・・特に皆守の顔色が 心 配になるほど蒼白なのが気になった。
 いや、それよりも。
 腕を突き出して、攻撃よりはまるで獣の牽制。彼の方が顔色は不味いような。

 ナイフを逆手に握り直し、もう一度。
 「トッテは幸せ?」
 「何度言えば・・・!僕は幸せさッ!」
 「本当に」
 「当たり前───」
 「絶対に?」
 「───ッ!」
 矢継ぎ早に繰り返される問いに苛立ち。絶句に更に言葉を浴びせる。

 「お姉さんはトッテの傍で笑ってる?」
 答えは返らなかった。攻撃も忘れて立ち尽くす取手の表情は困惑一色で塗り固められて、声を失う。彷徨った視線が何もない空間で固定されて───取手の顔 が 泣きそうに歪んだ。弱々しく差し出された手が空を切る。
 途方に暮れた子犬のように。迷子の子供が、家に帰りたがる、ように。

 「トッテ───とりで」
 名前を呼んだ。意識すら黒い気に持って行かれそうな様子を見てはいられなかった。
 「俺は、俺のために、とりでに救われて欲しいよ。俺は聖人君子には天地が引っ繰り返ってもなれないし、善人と言うにはさっぱり歩数が届かない。良いこと を している気はないしね。この音は実際、とりでを追い詰めてることだろうね」
 迷子の子供が黒い瞳で街角で出会った大人を捉える。呆然と見詰められて、苦笑を禁じ得なかった。
 「俺はね、幸せなの。凄く幸せ。自分は今、最良の場所に立ってるんだと思ってる。だからね、他人もここに立たせてみたいの。つまり幸せの押し売り。商売 す るにはサービスが足りないけども」
 「き・・・み、は・・・」
 無造作に一歩、踏み出す。

 「さあ、とりで、選ぼうか」
 腕を広げてまた一歩。取手は下がらなかった。魅入られたようにこちらを凝視して、中途半端に上げたままの手を震わせる。
 「陽炎の幸せを保つために他人を犠牲に笑顔を忘れるか、その幻影を断ち切って努力の末に笑顔を思い出したいか。前者ならこのまま放っておいてあげよう。 で も後者ならその扉を開く手伝いくらいはしてあげる。今の立場を壊すだけは、ね。選択事前の注意事項としては」
 満面の笑顔を浮かべたに、ふらりと近付いた取手の意思は。
 「この世の中、誰もみんな、一人で生きて行けるような甘い場所じゃねえよ」
 「僕は」
 一筋の涙を頬に光らせて、差し出した手に恐々と触れる。僕は、と再度、語気を荒げての手を握る力を強めた。
 口元に近付けられたナイフを気にも留めずに。

 「───しあわせに、なりたい」

 「了解」
 ひたり、と唇に当てられた冷たさに、小さな声が反響して。
 取手に戻る。
 「なら、吐き出してしまおうか、そのいらないしがらみは」
 温もりに包まれる左手から放出した気が取手の身体を包み込み、内部を侵食する。苦しそうに目を瞑った取手の口から、放たれるのは高密度の黒く不快な、 気。
 ナイフに分断されて宙に踊り出るそれは、段々と質量を持ち、歪な形を生成し。
 「退治てくれよう、桃太郎・・・ってか」
 やがて、2つの男女の顔を持つ、醜い異形と成り果てた。 








 心なしか昨日よりも爽やかな風が頬を撫でる。少しだけ熱を持った幾多の細かな傷が冷えて気持ちが良い。屋上は穴場だとつくづく思う。
 平和な空間で一人小さく笑う。と、隣で横たわる皆守の気配と、たった今もう一つ増えた気を感知して、悠々と振り向いた。
 「や、トッテ」
 「くん、その、昨日はありがとう」
 「いえいえどういたしましてー」
 背を僅かに丸めて穏やかに佇む取手はほんの少しではあるが口元を綻ばせていて、も吊られて静かに微笑んだ。

 タイミング良く吹く風はまるで演出。さわ、と髪を擽られた皆守も、いつのまにか目を開いていた。眠たげに目を擦り、早々にアロマパイプを銜える。香るラ ベ ンダーの甘さに目を細めた。
 「よう、取手。・・・もういいのか」
 それは精神的にだろうか、それとも、黒い気を吐き出したことでの身体への影響を心配したものだろうか。軽く口籠った後のどちらとも取れる言い方に、取手 は やはり穏やかな表情で答える。
 「うん。今日はとても気分がいいんだ。だからどうしてもお礼を言いたくなってね」
 座ったままの姿勢で長身を見上げるのは辛い。いっそのこと、と身を横たえて、こちらを覗き込む逆光の取手を甘んじて受け入れる。

 「ふふふ、良いことをすると気持ちが良いなあ」
 「・・・昨日は『良いことをしている気はない』とかほざいてなかったか」
 「おお嫌だ嫌だ。小姑はうるさいね」
 「事実を突かれたからって人を小姑扱いするな」
 「小姑扱いされたごときで拗ねるな───ぉえ」
 鳩尾に、寝転がったままで腕を振り下ろされて空気を吐き出した。仕返しにアロマパイプを奪い取り取手に渡す。
 驚いたらしい取手が、パイプを手にしたまま数歩下がった。

 「取手、返せ」
 「え、あ、は、はい、ごめん」
 起き上がりもしねえ。ぞんざいに伸ばされた腕を無理な体勢で蹴り上げて、反動で起き上がる。
 「こんな女王様に返すことねえぞー。あと謝らんでヨシ。ちょっと貸して俺が吸うから」
 「おい、こら、人のもんを勝手に」
 ヒョイと数歩下がって精巧なパイプを銜えると、皆守も眉間に皺を生成して身を起こした。伸ばされる手を掻い潜る。一手、二手。
 靡いた髪を引っ掴まれてさすがに足を止めるとあっさり取り返された。
 「・・・ったく、油断も隙もねえ」
 「だからって髪掴むか!?ゴッソリ抜けたらどう責任とってくれる!前略不埒な悪行以下略、退治てくれようももたろ」
 「昨日も思ったが、なんだそれ」
 「ば、おま・・・知らないのか桃太郎侍!水戸の御老公と同等に有名だろうがこの非国民ッ!」
 「ふたつ不埒な悪行三昧、みっつ三日月ハゲがある・・・だっけ・・・」
 「どうしてそこで素ボケなのよおおおぉおぉぉ・・・ッ!なに、トッテったら真面目に見えてボケ担当なの!?」
 ジェネレーションギャップだとしたら胸の痛みで死んでしまえそう。必死に仲間を求めるの願いを中途半端に叶える取手は、この先図太く生きられること だ ろうと思う。

 照れたように頬を赤らめる姿に毒気を抜かれて、は肩を落として嘆息した。嫌らしく笑う皆守に一瞥をくれて、扉に向かって歩き出す。
 建てつけの悪い戸は耳障りな音を立てて道を開けた。

 「トッテ、そこで笑ってるアロマニアは放ってって飯食いに行こう。マミーズだっけ?あそこ連れてってよ。場所わっかんね」
 肩越しに振り返ると彼は目を丸くして固まった。続いて、泣きそうな笑み。笑い返すと迷子の子供は、ようやく道を見付けて駆け出した。
 「───いつか一緒にお昼を食べよう、と、言っていたっけ」
 「これから何度でも決行できる約束に、学生らしく牛乳で乾杯しようか」
 「必要ないだろう。乾杯するような特別なことでもない」
 何気なく横に並んだ皆守の言葉に破顔して、は取手の腕を取った。乙女のように頬を染める取手に強引に扉を潜らせて。

 「なら、その内トッテのピアノが聴けるように願って、かんぱーい」
 陽気に言って繋いだままの腕を掲げた。喉で笑う気配が伝わって弾ける。暗い階段の上で、強く育まれる精神の輝きが幸せだった。

 後のこともすっかり忘れて。 





 九龍の皆さんの立ち直りの早さは物凄いと思う
 トッテさんのビジュアルがずっとボンデージだと思うと笑っちゃう
 なにこのクソ長い第二話後編


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