(あー、平和)
 窓枠に引っ掛かり、だるだると空を見上げて思う。
 高校生というのは随分と贅沢な身分だ。何もしなくても取り敢えず生きていける。普通なら何もしなくても致命的な「何か」は起きず、ただ安穏としていられ る 時間。
 自分が本物の高校生だった頃を思えば、今のなんと恵まれていることか。

 心の重石が取り除かれ、自分は自由に。枷の外れた足はどこまでも軽い。
 自分で全てを選択できる。その自由という至上の喜びの中で降り掛かる火の粉を払うのは、不謹慎ではあるが───楽しい。自分が悩みを持っていた頃には、 鏡 を見ていたくない一心だった気がする他人の露払い。今では人の悩みの助けになれることは純粋に嬉しくて、ついつい人生における後輩達に積極的に関わってし まう。
 ああ、これが余裕というものか。

 くすくすと一人笑う自分は不審だろう。だって、この平穏が何よりも嬉しくて堪らない。
 学園の状況は悪化している。けれど、解決できる、自信がある。その自信が私を後押しする。
 だって、あの頃に比べたら。
 戦いに明け暮れる日々。人外に付き纏われる日常。自ら飛び込む必要など皆無で、あちらが一々付け狙ってくれる、物騒な。虎視眈々と命を狙われ狙うあの緊 張 感は。
 決して今のように心踊るものではなくて、もう一度あの日々を暮らせと言われたなら、あら苦し眩暈や、私はきっとトラウマに倒れるだろう。
 自分で選んだこの道の戦いは、どこまでも心地よい緊張感。

 (なんて平和)
 死に逝く実の兄を思い出す。自分達らしい言葉を交わせた最期。死臭に纏わり付かれた彼は、安らいだ顔で私を見詰めた。
 『幸せになれよ』
 最期くらい死にそうな顔をしていろよ、と思うほど快活なそれは、5年間、今もまだ耳の奥に残っている。鼓膜を震わせる地崩れの音も壮絶な閃光も、脳裏の 写 真ではすでにぼやけ始めているのに。
 『俺は』
 答える声も、その後の兄の最後の笑みも。鮮やかに焼き付いたまま、多分一生、消えないでくれる。
 『私は』
 言い直した声に。
 『幸せだよ』
 彼は、満足そうに微笑んだのだっけ。
 (なんて平和)

 気が付けば部活動が始まっていて、眼下で蠢くのは、運動に命を燃やす健全な高校生達。私達が凄絶な戦いをしている間も、彼らはこうして平和を甘受してい た のだろう。
 それを羨ましいと思うような、思わないような。だって私が彼らのように過ごしていたなら、きっとこの平和を喜べない。
 この平和をこうして嬉しいと思えることは。
 平和を平和と気付けることは。
 恐らくは最大の山を越えたのであろう、私の、最大の───誇りで。

 校舎からまた一人吐き出された高校生。無気力を具現したような男子生徒はどうやら憤っているようで、長い足を普段の気だるさはどこへやら、乱暴に動かし て 早足に門に向かう。
 呼び止める高校生。テニス部の活発な女子生徒は、止まらない男子生徒の前に仁王立ち、何やら説教を始めた。
 今一番に身近な二人を高所から見下ろして、私は顔を綻ばせた。涼しい風が頬を撫でる。
 赤く染まった空に、私も帰らないと、と一枚、フィルタ掛かった頭でぼんやりと考えた。
 「私は」
 右腕を顎の下に引いて、左腕で邪魔な前髪をかき上げて、そのままずるずると上がった左手は、頭を抱えるように落ち着いた。
 無気力だが世話焼きな友人。快活で明け透けな笑顔をくれる友人。謎と苦悩を持ち続けながら戦う静かな友人。優しい音を紡ぐ友人。知識をくれる伝達者であ る 友人。友情と自身の間で迷いながら笑う友人。一心に無機物を愛する一途な友人。その無邪気さで笑顔をくれる小さな可愛い友人。少し困った性癖の友人─── 思い浮かべたその人達に出会えたことが、今はとても。

 「───幸せだよ」
 燻った思いは一生影を落としても。
 胸を張ってそう答えられる今を、私は何よりも誇りに思う。

 ああ、なんて。







↑A
irxxer
↓B







 機嫌良く歩く朱堂は、夕暮れの校舎の中、手元のカメラににんまりとした笑みを向けた。
 本日も隠し撮り写真の結果は上々。一度は皆守に見付かって怒気もあらわに追い掛けられたものの、陸上部エースの俊足に追い付くことなどできよう筈もな い。十数分巻ききれず追い続けられたのは誤算だったが、体力を大幅に削られただけで、そう痛手とはならない。

 「しかし、皆守ちゃんがあんなに全力投球で来るとは思わなかったわ〜」
 廊下の窓からこっそりグラウンドを見下ろすと、凶悪な顔で校舎から排出される皆守の姿。大股に門へ向かうその姿に、朱堂は身震いした。
 正直怖かった。
 殺されるかと思った。
 カメラの中の、ひどく珍しく穏やかに笑う彼とは大違いの修羅の形相に、そりゃあこっちも必死になる。
 けれど残念。朱堂の足に追い付ける人間など、この学園にはたった一人しか───。

 「あらぁ?」
 ふと視線を上げて驚く。マスカラの乗った睫毛を数度上下させて、首を傾げた。
 たった一人、が窓枠から顔を出していた。漆黒の、少々癖のある髪が風に靡く。琥珀の瞳が夕焼けを反射させて輝く。
 「ふふ、夕焼けに色男!映えるわあ〜!」
 首に掛けたカメラを即座に構える。レンズを男に向け、ピントを合わせた。
 このカメラは宝物だ。今、フィルムには様々な色男のベストショットが刻まれている。生徒会役員達の姿も、先に挙げた皆守の微笑みも、その脇で快活に笑う 「たった一人」も。自分の素敵なコレクションとなると共に、きっと高く売れるだろう。
 女の写真は止めた。また八千穂の鉄拳に晒されるのはさすがに怖い。

 現像が楽しみなそのフィルムに、もう一つの宝を刻むために慎重にポイントを移動して。
 彼は───は。

 「───」
 かしゃり、とカメラが鳴いた。興奮することも忘れてぼんやりと腕を下ろす。普段なら、そう、普段なら。朱堂は興奮のあまり叫びながら、凹凸のない壁を垂 直に登っていくことすらするだろうベストショットに。
 ただぼんやりとしている自分がわからない。

 立ち尽くす朱堂を置いて、は顔を引っ込めて窓を閉めた。光が反射してそれ以上は表情が見えなくなる。窓を横切って廊下を悠々と歩く影を目で追った。
 は笑っていた。柔らかに細まる目に滲む琥珀、優しく上がった口の端。眉は少しだけ尻を下げ、これ以上ない程に至福そうに。輝かんばかりの慈愛の笑顔 を浮かべて。
 どこか、少しだけ。ほんの少しだけ寂しそうな色を湛えて。
 「・・・嫌だわ」
 カメラをじっと見詰めて、朱堂はぽつりと呟いた。普段の、女らしい声を出すことすら放棄して。低い声は誰もいない廊下に響く。
 「あんな顔されたら、独り占めしたくなるじゃない」
 売れなくなっちゃう。───皆守の横で笑う写真すら、なんでもない表情の彼の写真すら。

 彼そのものを。

 やがて、うふふ、と笑って朱堂は校門を振り向いた。
 「本気で惚れちゃうわあ〜」
 彼を目下独占している男にライバル心をグツグツと煮えたぎらせて笑う。
 今から帰宅するのであろうに合流するため、軽やかな足取りで朱堂も下駄箱へと駆け出した。
 「この学園の中ですら、ちゃんてば、目立っちゃうのよねえ」

 他の誰かに取られないように。 


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