いつまで経っても成長しない。この光景を昔の友人たちが見たらそういうのだろう。教室を出たを追った声に、久しぶり過ぎて事態を想像できなかった自 分が憎い。
 開始される説教。淀みなく流れるお叱り。まあいいやと開き直って、話半分も聞かないままに弁解を舌に乗せる。
 説教の理由は今も昔も変わらない。







九龍妖魔学園紀Ylno irxxar閑話
いしと(いしと)







 廊下に見知った姿を捉えて、黒塚至人は興味深く足を止めた。
 「、お前はいい加減に───」
 「だって先生、別に間違ってないんだもの、いいじゃない」
 腕に抱えた最愛の石。保護するケースを優しく撫でる。
 教師に怒られる生徒の姿というものは、特におかしなものじゃない。一週間も適当に廊下を歩いていれば、まず間違いなく一度は目撃できる、大方平凡な風景 だ。
 しかし、捕らわれているのがその人となれば、事情は異なるもので。
 (授業をボイコットしすぎたのかな・・・?でも、彼なら逃げるよねえ)
 ねえ、と傍らの石に同意を求めると、望む答えがすぐさま返ってきた。サボタージュは激しいが、それについてはそれなりの成績で返上しているらしいので、 叱られることはないだろう。身の危険に敏感なが逃げ損ねることも、またないだろう、と。自分だけに聞こえる声が『同種』たちの噂話を届けてくれる。 ───否、嬉しいことに、転校生の彼にも微かに声は届いているのだったか。
 よく通るテナーの声音が慣れたように弁解を連ねるのを、道行く生徒が振り返り、ああ、と納得した上で去って行く。
 彼は有名人だ。変人揃いのこの学校でさえ。染めるという言葉を知らないような漆黒の髪は、今時逆に存外目立つ。琥珀のような年輪を重ねた深い瞳に射竦め られれば視線を外すのは難しい。おまけにどこまでも突拍子なく切り替わる言動とくれば、一度その存在を認識したなら忘れることは不可能だろう。

 「もー、細かいんだから」
 そうこうつらつら考えている間に、彼は権力者から解放されたようだった。不満というよりは、些か困ったように呟く姿は意外だったので首を傾げる。
 「君」
 「ん?やあ、黒塚、おはよー」
 俯きがちに歩き始めようとしたその背に声を掛けた。驚く様子も見せずに振り向いたは、こちらを認識してすぐに笑顔を浮かべる。標準で悪戯めいて見え るその笑顔に、黒塚も同様に笑みを湛えた。
 「一体、何を怒られていたんだい。君ともあろう人が珍しいじゃないか」
 「レアな光景の目撃者になれて嬉しいでしょ」
 そうだね、と頷くと、ええ、そうなの?と。困惑と共に不思議そうな表情が返ってくる。
 「君のような素敵な石が七色に輝く様は、何とも感慨深いものさ」
 「・・・もしかして俺は黒塚に愛されてるのかな?」
 「僕は世界中の石を愛しているよ!」
 「鉱物に生まれた記憶はないんだけど。じゃあ俺は人を愛してるから、両思いだね」
 言葉遊びの延長線とは思えないほど嬉しそうに笑った。

 かつてギリシャ人は、琥珀を太陽が作ったものとしていた。オビットの本の神話によれば、太陽を地球に近付けすぎた神が熱から地球を救うためにぶつかった 木星に殺され、その死を悲しんだ者たちの涙が太陽によって乾かされ、できたものが琥珀だという。更に、エレクトロンが作ったものであるという説もある。琥 珀を布でこすると電気が発生し、小さい微片をひきつけることが出来るからだ。また、古代の著者ニシアスは、琥珀は沈んでいく太陽のジュースあるいはエッセ ンスであるといった。
 はまさに琥珀そのものなのではなかろうかと思う。
 深い悲しみを、しかし眩い精神で凝固したような強い瞳。他人の関心を一途にひきつけずにはいられない、引力を持った瞳。中天にある太陽のように強烈では なく、沈む直前の柔らかさを持って人の道を照らす、優しい瞳。
 彼は、愛する石たちと同等の性質を持つ、世界にただ一人の人間だといってもいい。いや、それ以上の部分すら持つ美しさすら、彼の中には垣間見えた。黒塚 が石に求めるもので、満たされないただ一つを、彼は持っている。
 石たちは、硬度とじん性を完全には兼ね備えない。硬ければ割れないというものではないのだ。ダイヤモンドは硬いが割れやすい。翡翠はじん性が高いので我 割れ難いが硬さはそれほどでもない。
 は。

 「まあやっぱり俺は石じゃないけども。何を怒られていたか、興味ある?」
 「とてもね。謎の多い石の、とりわけ愛する石の秘密を暴きたいと思うのは当然だよ。君がいやだと言ったら教師に尋ねに行くだろうほど聴きたい」
 熱心に言葉を述べて、片手での手を取る。人によっては拒絶するだろうその行動を、は笑ったまま受け入れた。
 「君。君はどこの川から流されてきた石なのだい。それとも深海で水を支えてきたのかい?どんな魚を見てきたのか、どんな石たちを傍に置いたのか。ど んな苔を纏って過ごしたのかな。それとも苔など振り払って一人転がり続けたのかい。どこの大岩から分離したのだろうね。もしかしたら今もなお大岩であるの かもしれない。或いは大岩だったものが削れ削れて今を過ごしているのかと───」
 「黒塚」
 うっとりと思いを巡らせて重ねた声。今まで目にしてきた数々の素晴らしい石を脳裏に描く黒塚の名前を、相変わらずの笑顔では呼んだ。その顔に、踏み 込まれたことへの不快はまるでない。
 は、ひどく硬く、同時に割れ難い。それを人は───強いと呼ぶ。
 「今聴きたいのは?」
 「なぜ怒られていたかだね」
 母親が子を諭すような軌道の修正。知らせたくないことは知らせない、というスタンスが半身を見せて、黒塚もふふと笑う。彼は黒塚がそれ以上踏み込んでこ ないことを信じた。だからちらりと本音を覗かせた。それは何とも心が弾む事実だ。
 「そう、何故、怒られていたんだい。成績は問題ないはずだろうに」
 「俺、黒塚に成績の話、したっけ」
 「ラララ石はなんでも知っているー」
 「そうだった」
 手を取ったままくるりと回ると、は大事な石に身が当たらないよう気を付けながら同じように一回転した。ダンスを踊るように手を伸ばして止まる。
 廊下で不審な会話と行動を繰り返す自分たちに、奇異な視線が投げ掛けられているのには気付いていた。しかし黒塚はいつものことと気にしない。もそれ は同じことで、むしろ周囲に己をアピールすることで笑いを誘った。

 キンコンと鐘が鳴る。
 「黒塚、次は?」
 「愛する石との語らいを、どうして汗にまみれた教師のために中断しなければいけないんだろう」
 「体育かー。黒塚の体操着姿はちょっと興味あるけど、まあ俺もそう思うよ。じゃあ石研でも行こうか」
 至って反省の色もなくサボタージュを推奨するに、説教の理由候補からボイコットのしすぎの線は消え───ない。彼にとって授業などどうでもよいもの なのだから。彼は反省しなくてもいいことに反省はしないのだ。怒られたからサボタージュを控えるという思考は生まれない。
 本当になんなのだろうと浮き立つ心で考えて、答えを後に回した。








 相変わらず素敵な部屋だよね、と彼は鎮座する石たちを見渡して呟いた。口先だけの言葉ではない。しみじみとした響きに、こちらこそいたく感動する。「彼 ら」と内面世界をも共にするに褒められて、嬉しくない筈がなかった。
 頑丈に作られた棚に無造作に近寄って見詰める。視線をずらしてまた一つ。
 いくつかをそうして丁寧に見て、ふとが口元に柔らかい笑みを浮かべた。
 「これ、浜離宮の子?」
 純粋に驚いた。その隠された職業柄か詳しい詳しいとは思っていたけれど、まさか出自まで当ててしまうなんて。
 賞賛と驚きのどちらを表出させたらよいのかわからなくて、多分、相当変な顔をしただろう。黒塚を見たはひどく楽しそうな顔をしていたから、かなり珍 しい表情だったに違いない。石たちまでもが小波のように笑っていた。
 彼らが楽しいのは黒塚にとっても嬉しいことなので、まあよしとしよう。
 「懐かしい気がしたからさ。さすが黒塚っていうか・・・目の付け所がいいよねえ」
 「それは、どういう?」
 「あそこは特別な人がいて特別なことがしてある、特別な場所だから」
 そっと石を手に取って目を細める。

 懐かしそうに微笑んだ彼のその手付きはひどく優しかった。は破天荒極まりなく見えて、実のところ随分と細やかだ。勿論方向性は偏っているけれど、少 なくとも他人の大事なものをぞんざいに扱うことは決してない。
 が表面に触るか触らないかという境界をゆっくりと撫でると、浜離宮で生まれた子供は明らかな喜びの声を上げた。彼に触れられることが喜びなのか、そ れとも他の人が宝石を扱うような大切さで包まれたことに満足しているのか。自分ではなくにだけ向けられた声は、黒塚にはよく聞こえないままに消えた。
 ひとしきり大事に愛でて満足したのか、また同じ場所に石をそっと戻す。

 本題、と呟いた。黒塚が勧めるよりも先に、勝手知ったるなんとやら。彼はさっさとどこの部室にもある折り畳み式のパイプ椅子に腰掛けた。
 何度も誘った部屋なので、遠慮は特に見受けられない。こちらが座るのを待って軽い口調で切り出した。
 「さっきの、数学の教師なんだよ。黒塚のクラスは違う人だっけ」
 「全クラスの教科担当が同じ人であればいいのにと思うのは初めてだね」
 「そしたら宿題も共有できたのにねえ」
 「そうしたら君と語り合う時間も増えたろうに、ああ、残念だな」

 でね、と彼は続ける。
 彼自身、そういった回答を多用する人種だからだろうか。他の人ならば、例えばいつもと共にいる皆守甲太郎ならば短気にも「質問に答えろ」と青筋を立 てる答えすらさらりと受け流す。
 「俺はそんなに数学の成績悪くない・・・ていうか凄い良いんだけど、ちょっと良すぎてさ。人によっては泣きながらバールのようなものを振りかぶって襲い 掛かってきそうな話だけども、計算の過程って考えたことないの」
 苦笑しながら紡がれた言葉に数秒首を傾げる。
 「無駄がなくていいことじゃないか」
 「や、俺もそう思ってたんだけど」
 学生服に包まれた腕がヒラリと振られた。そういえば彼は、大分暖かになってきたにも関わらず、上着を着崩そうともしない。のどまでキッチリ閉じられた袷 に首を傾げかけて、しかし詮ないことだと頭を振った。
 「センセが言うには、結論に至るまでの過程が大事なんだから、計算式もちゃんと書きなさいって。目的のためでも手段は選べってことだろうけど、そんなこ と言われても、ねえ」
 同意を得るように眉尻を下げて肩を竦める。
 過程にも点が加算されるとあれば、そこは我慢するしかないだろう。労力が多少必要とされるだけで問題となる箇所ではないはずだけれど。
 残念ながらよくわからなくて沈黙を守った。彼はすぐに気付いて補足する。
 「俺だってさすがに、書くだけなら書くよ。ただねえ、計算の過程考えたことないってのは、つまりただひたすら工程が頭の中で流れてく状態なわけ。1たす 1から始まって、因数分解まで全く同じレベルで流れるのね。だから」
 言葉を止めて答えを促す。そこまで聞けば黒塚にも解答は導けた。
 「・・・書くとなると、どこまで書いていいのかわからなくなるんだね」
 「ビンゴ」
 言っては机に突っ伏した。どうしようかなあ、と呟きが漏れる。10秒もしない内に、まあいいかー、と早速問題を放り投げる結論に至っていた。即断即 決、さすが

 「だから書かなくて怒られたのかい?」
 「ん?」
 何となく声をかけると、不思議そうに顔を上げた。ぱちぱちと琥珀の目を瞬かせて。
 「いや、それはただ単に、書かないと怒られるってすっかり忘れてただけなんだけど」
 照れた顔で誤魔化すように笑う。大人びた顔が崩れて、すっかり同年代───どころかそれよりも多少幼く見える様子につられて微笑んだ。石たちも同じよう に楽しそうに笑い出す。

 「前も怒られたって言うのなら、中学くらいの頃かな、そう対して昔でもないはずだけど・・・意外と忘れっぽいんだね、君」
 からかい混じりに呼応する石の声をそのまま伝えた。彼のことだから当然平気な顔でうそぶくものだと思っていたのだけれど、予想は外れて。
 「・・・成長しないんだよ。いつまで経っても」
 随分と懐かしそうに目を細める。ここではない遠くに視点をぼかして、どこか切なそうに苦笑した。
 「人間ってあんまり変われないもんだよね」

 表情はすぐに切り替わった。生き生きとした色を湛えた瞳が、薄汚れた壁に掛かる時計を映す。
 おもむろにパイプ椅子から立ち上がって、固まった身体をぐっと伸ばした。
 「黒塚、お昼ご一緒しない?何だか無性に千貫さんに会いたい」
 「つれないなあ、君という石を愛する僕の前で、他の人に会いたいだなんて」
 うふふと思わせぶりに口元を歪ませる。彼に倣って立ち上がり、片時も離れ難い愛しい石を抱え上げる。いつものようにケースを優しく撫でた。心が充足 する。

 教室に財布を取りに帰ると言うから、校舎の入り口で待ち合わせることになった。普通は財布くらいは持ち歩くものだと思うけれど、なるほどそこはとい うことだ。
 すぐ戻るから、と背を向けるの名を呼ぶ。歩みを止めて振り返った彼に、黒塚は何故だかひどく弾む心を抑えて、口にした。

 「僕も遺跡に興味があるのだけど、ついていっても、いいよね?」

 タイミングがタイミング。口を開けたまま絶句したに、黒塚は久しぶりに声を上げて笑った。




 石と意思と意志と。
 一話遅れで黒塚加入。ドリ主褒めるのって難しいから困る
 黒塚の口調マジわかんねえ
 彼は結構常識人なのだと思う


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