SSS
 

 出来るだけ気配を殺して近寄る。そっと滑らせた手が目標に届く直前に、強烈な裏拳が襲ってきた。カメハウスの中、ウミガメが溜息を吐いたことだろう。
 「うひょおッ!?」
 「いい加減諦めてよ、じいちゃん」
 チッ、と禿げた頭を掠って抜けた拳に首を竦めて、亀仙人は苦笑した。相変わらずこの少女は聡い。頑張っても尻に手が届かないとは。
 思い切り呆れた視線を注がれた所でめげるような性格ではないが、今度の奇襲が何度目の失敗かを考えると、多少プライドが傷付いたような気がした。


 「・・・神楽ちゃんが居った世界は、どんな所じゃ?」
 「セクハラすると訴えられて警察に捕まる世界かな」
 もともとこれが本題で近付いて来たのだけれど、唐突な問いに澱みなく的外れな答えを返す神楽。まあ、初めの行為を見れば的外れでもない。
 「あ、いや、そうじゃなくてじゃのう」
 「少なくとも、背中に亀の甲羅背負ったじいちゃんは見たことないなあ」
 自業自得の返答に汗を流す。目を泳がせる仙人をどう思ったのか、瞳をちらりと向けて、呟いた。小さな声で、溜息混じりに。
 「こっちより、ずっと捻くれた世界」
 調子に驚いてサングラスの向こうの顔を見詰める。青い空に目を向けたその顔は、思いを馳せる心情を映し出していた。口元は薄く笑みを保ちながらも寂々た る佇まい。
 少女が他人にこんな様子を見せるなど、途轍もなく珍しいことだ。
 太陽の光を帯びて、琥珀の瞳が金色に近く輝いた。
 「何もかもを省みない世上で、誰も彼もが周りに無関心。自分の意見と信じて世間に踊らされて、ただ争いが蔓延って」
 ゆっくりと瞼が下ろされた。口元の笑みが深くなる。それは恐らく卑下の笑み。
 「・・・暗くて、太陽みたいな人間が疎ましがられるような、どうしようもない世界・・・」
 再び漏れた溜息が空気に溶けて数秒。どうよ、と言いたげな目が苦笑交じりに振り返る。首筋を手の中の杖でトントンと打って、亀仙人も苦笑した。
 「そんな世界ならいっそ見捨ててしまったらどうじゃい。悟飯なんぞ、お主が帰ることで嘆いとったぞ?」
 「知ってる。でもね」
 「・・・大きいか」
 残してきた者は。そう仄めかす言葉に神楽は小さく頷く。
 「大切なモノも、多いんだよ」
 たかが3ヶ月と少し。それでも17歳という身柄には長い。
 年に見合わず成熟した精神であれ、突然に引き離された事実は堪えようもなく、重く。

 「・・・そんなに強くないんだ」
 乾いた目で笑いながら落とされた細い肩が、潮風に濡らされた。




   
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送